思いついた時 思いつくまま

京丹後わいわい書房
店長お勧め本がいっぱいの本・CDの店です。音楽関連本もございます。
ほぼ毎日更新しています。まめにチェックしてみてください。
思いついた時
思いつくまま
(2004年1月〜12月)
思いついた時
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(2003年1月〜12月)
思いついた時
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思いついた時
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(2000年5月〜12月)

12月31日 金 雪

大晦日雪降り

腰の具合は良くない。年末に体調崩すとさっぱりである。
腰が悪いために後片付けもできない、買い物にも行けない。すっかりお荷物状態である。優しくしてもらえて嬉しいが気が引ける。

雪がよく降る。外出するのも大変になるな。取りあえず今日と明日の二日が雪らしいが。

ライヴがしにくい時期を決算期として選んだが、年末を決算としたのは良かったかどうか。
とにかく分からないことばかりで苦しんでいる状態である。

今年は良いことも良くないこともたくさんあった年である。来年は良いことの比重を増やしていきたいな。
良い年になりますように。

安田守彦・Hの2004年の十大ニュース

1.メロディスト合資会社設立。会社を作るのは面白かった。しかし、これを継続していくのは難しい。初年度からそう思う。

2.京丹後わいわい書房始める。だんだんお客様の数が増えていき、とても楽しい。

3.ギター教室を始める。少しずつだが生徒さんの数が増え、またやる気のある人ばかりでとても楽しい。

4.内田いづみさんが亡くなる。とても悲しい。忌憚のないアドバイスをしてくれる人だった。

5.台風23号で離れが被災する。修復までに時間、労力、お金もかかった。しかし、被害が小さかった方だと思う。

6.腱鞘炎(胸郭出口症候群、頸椎ヘルニアとの診断もされた)で、ライヴ活動が思うようにできなかった。連日演奏日とするツアーが全く組めなかった。

7.Hが1月(山梨県)、9月〜10月(静岡県)に出張する。

8.浜名湖花博で演奏した。楽しかった。

9.Hの祖母が亡くなる。

10.harpguitars.netに安田守彦ホームページが紹介・リンクされる。日本以外のホームページから紹介・リンクされるのは初めてのことである。

12月30日 木 雨

が痛くてさっぱりである

昨日痛めた腰がさらに痛くなり、さっぱりである。
年末は特に注意していたのにこの有様。情けない。
睡眠中に寝返りを打つとき、激痛が走り目を覚ますこと数回。あー。何という年末。
最後まで厄年か。

12月29日 水 雨

年賀状書き 拭き掃除

必死に年賀状を書く。

午後少し晴れ間が見えてから、母屋、離れの外側を拭く。
あまりしないことをすると腰にくるのだが、今回もきた。
腰痛である。腰痛持ちにはきつい姿勢なのかなぁ。
拭き始める前に予兆はあったのだが、仕事が休めない母の顔が思い浮かんで、やっているうちに、「ウッ」と腰に痛みが。。。
だましだましやっていたので、軽くで済んでいると思うが、明日以降にならないとほんとうのところが分からないのがコワイ。

読まない本を箱に詰める。
こわごわやっている自分が情けない。腰に負担をかけないようにするだけだ。

久しぶりに内田さんに電話する。
元気そうである。丁度買い物から帰ってこられたところで玄関を開けたら電話が鳴っていたそうだ。
4か5回目のコールで受けられたので、ベストタイミングで電話をしたことになる。

今年の事情で、ギター製作予定は大幅に遅れていくとのこと。
我々ユーザーは最高のギターを求めているので、理由のはっきりした遅れについては問題がない。
内田さんがギター製作を再開してくれることが何よりも嬉しい。

12月28日 火 雨

決算の準備続く

ほとんど一日準備に割かれる。

夜レッスン。今年最後のレッスンである。来年の発表会が楽しみだ。

12月27日 月 雨

決算の準備中

少し前から決算の準備をしている。
今までゆったりと構えていたせいか、急に忙しくなった感じがする。
会社員の時には半期ごとに大変な目をして決算を乗り切っていたのにもう忘れてしまったかのようだ。この時には決算の一部を担当していたので、全貌を掌握しているとは言えなかったが、これからは全て分かっていないといけないため、細かいところも見ていかないと行けない。
それにしても経理用語はようわからん。
今日は新刊本屋に行って勘定科目がよくわかる本を購入。しっかり読まないと。

音楽関連本に注文が入る。
注文の入り方にかなり差が出てきた。よく注文が入るジャンルと全く売れないジャンルがあるのだ。全く売れないジャンルはいつか思い切ったセールをしてでも在庫を減らした方が良いだろう。そのジャンルを無くしてしまったも良いかもしれない。

夕方、Hに髪を切ってもらう。随分と頭が軽くなった。すっきりして気持ちいいなぁ。

12月26日 日

6日ぶりに注文が入る

クリスマス中は注文が入らないだろうと想像はしていたが、その前からパタっと注文が途絶えていた。
今日6日ぶりに注文が入る。
ホームページにアップしてすぐであった。こういうこともままあるのである。
とても嬉しい。

12月25日 土

クリスマスケーキを食べる その二

昨日に続き、今日もクリスマスケーキを食べる。今日は生クリームである。昨日のケーキも美味かったが、今日のケーキは絶品である。

食べてばかりいてもよくないので、今日はクリスマスらしく、アッカーマンの「行列聖歌」を弾く。
久しぶりに弾いた。素晴らしい曲である。

12月24日 金

クリスマスケーキを食べる

チョコレートケーキ。かなり濃いケーキで、母は少し食べただけで断念してしまった。
私は好みなのでどんどん行ってしまう。

12月23日 木 祝日 天皇誕生日 雨

のデータ入力

昨日仕入れた本の入力。本を読みながら値段を決めたりするので時間がかかる。
しかし、この時間は至福の時である。
古本屋をやっている大きな理由の一つだな。
やはり本が好きである。

12月22日 水 曇り のち 雨

兵庫県南部までセドリに行く

今日は朝からセドリに出る。帰宅したら夜9時を過ぎていた。
とびっきり凄い本は見つからなかったけど、いくつか欲しかった本を入手できた。
自分の気に入った本を仕入れるのは実に楽しい。

12月21日 火 曇り 時々 雨

柚子風呂。なんと24個も浮かんでいた

あることを企画しようとしていて、そこに収録するものを何にするのか考えていた。全体のバランスも考えて選びたい。

風呂に入って驚いた。柚子が一杯浮いていた。おぉ、今日は冬至だ。母さんやるねぇ。
それにしても数が多い。ゴルフボールを一回り大きくしたような柚子が24個も浮いていた。数えてしまった。
これでジャグリングができるなぁ、などと思いながら早速やり始めた。
うまくいくわけないんだが、面白いぞ、ジャグリング。

すっかり長湯になった本日の風呂。あー、気持ちよかった。

Acoustic Breath Vに参加される予定の方々から連日メールが届く。作品は少しずつ届いているが、収録希望曲数にはまだ届かず、少し延びそうである。
だんだん形になってくると面白い。素晴らしい音楽に触れる喜びがあるからプロデュースはやめられない。

12月20日 月 曇り のち 雨

注文を受けた本、CDを発送

注文を受けた本、CDの払込取扱票がまとめて届く。荷造りしてまとめて発送する。

夕方、レッスン。

12月19日 日 晴れ

レッスンに熱が入る

昨日同様、二人続けてレッスン。
熱心な人ばかりなので、レッスンにとても熱が入る。いつもレッスン時間を大幅にオーバーしてしまうのである。

12月18日 土 晴れ 一時 雨

続け様にドストエフスキーが売れる

ここのところ続け様にドストエフスキーの翻訳本に注文が入り、在庫がほとんどなくなった。
白痴、未成年、カラマーゾフの兄弟、悪霊と大作が次々と売れていった。
中でも未成年はとても苦労して手に入れた作品なのだが、必要とされる人の手に渡って嬉しく思う。
買われた皆さんはこれらの大作を冬休みに読まれるのかな。
ドストエフスキーの評論が沢山あるので、こちらも読んでいただければと思う。

レッスン。春に向けてのレッスンで身が入る。

12月17日 金 晴れ

両親とじっくりと話する

昼食後、両親とじっくり話をする。
妥協する方向ではなく、両者にとって好ましいと思える決着になったので良かったと思う。
この二年間一緒に住んでいるわけだが、二十年くらい離れて住んでいたから親の考えも随分変わっているように感じるが当たり前のことなのだろう。

じっくり話をする機会はあまり持たないが、たまにはこのような話し合いも良いのかなと思った。

久しぶりにTさんのメールした。元気そうでなによりだ。

12月16日 木 曇り 雹

昼に雹(ひょう)が降った

一瞬停電したかと思ったら雷が。雪起こしだった。何度もゴロゴロとなった。
パソコンを使っていたので途中までのデータ入力がパーに。
頻繁に保存する癖がついているので、数十分くらいのロスで済んだが、パソコンのメンテに時間がかかった。

12月15日 水 晴れ

本を整理する

朝から本を整理した。やりだすと止まらなくなる。
ついでにCD探しもしたのだが、こちらは不発。見つからなかった。その代わりに楽譜がたくさん出てきた。自分では弾かないかも知れないが、レッスンで使えるかもしれない。

12月14日 火 晴れ

豊岡に行ってきた 石焼きビビンバが美味しかった

最近高額本が売れる。ボーナス時期のためだろうか。今までになかった現象である。
売れれば仕入をしたくなる。豊岡にせどりに行く。
とりたてて珍しい本はなかなか見つからないものだが、今日はそこそこ珍しい本が手に入れられた。そのうちHがアップしてくれることだろう。

お昼には軽いものをと思ったのだが、石焼きビビンバが目にとまり、これをいただくことに。美味しかった。ビビンバは石焼きに限る。

12月13日 月

のリストを作る かつてフランスで買った雑誌がたくさん出てきた

本のリストを作る。時間のかかる仕事である。

雑誌はその時期に読まないと全く意味をなさないものが多いが、フランスで買ったものは捨てるに捨てられず、ずっと持ってきた。その雑誌類が段ボール箱から出てきた。捨てるのも何なので、フランス語の勉強になると思える人、フランスに興味があるひとに買ってもらえると嬉しい。
そのうち、Hがアップしてくれるだろう。

12月12日 日 晴れ

久しぶりに散歩した

昨日に続き、午前中は本データを入力する。

午後久しぶりに散歩する。散歩はいいなあ。気分が晴れ晴れする。

12月11日 土 晴れ

が来た

午前中は本データを入力。

今日も姪は買い物に行かず、家に残った。3時過ぎまではHが公園に連れて行って遊んでくれたのだが、その後は私の番。おとなしくビデオを見ていたかと思うとレッスン室にやってきた。
今回も一緒に歌を歌った。
今回は時間がなかったので一回だけだった。

夕方と夜にレッスン。

12月10日 金 晴れ

舞鶴と福知山に行った

昨日高額本に注文が入ったので、今日はせどりに出る。
舞鶴に行った後、福知山へ行く。

ケーキ屋を探したが見つからず、パン屋でパンを買って帰る。

夜、Yさんから電話が入る。春のライヴの件。

12月9日 木

のリスト作り

販売するための本のリストを作る。

頭痛がするため早めに休む。

12月8日 水

John Lennonの命日

この日になると記憶が高校三年生だった17歳の12月8日に遡る。
漫然とイメージしていた私の中の「音楽」の位置付けがライフワークになった日である。
一生音楽をしようと、この日に思った。

未だに音楽を止めることなく続けている。
継続は力なり。

12月7日 火 曇り

レッスンが楽しい

販売CDのリスト化。

反応が良いのでレッスンが楽しい。数ヶ月先を考えたレッスンを始める。

12月6日 月 晴れ

叔母の家へ行った

雪が降って取りに行けなくなる前にと、叔母の家へCDを取りに行く。

金比羅神社前のケーキ屋でケーキを買う。ここから10分もかからずに到着。
叔母は仕事で留守だが、義叔父がおられたので、声をかけて探す。
たくさんあると思っていたCDだが思ったほど多くはなかった。2年前の引っ越しから出てきていないCDは我が家のどこかにあることになる。

12月5日 日

が絵を描く

妹が子供を連れてくる。
母と妹が買い物に行くと言うので、私が姪に向かって「一緒に付いていくか?」と訊いたところ、ここに残ると言う。

私と姪と二人だけになる。
きっと「ギターを弾いてくれ」と言われると思っていたところ、私の隣に座った。
二人が帰ってくるまでには30分以上は要すると思われたので、紙を渡して絵を描いてくれと頼んだ。
いつもホワイトボードいっぱいに使って絵を描く姪には小さすぎるのかも知れないが、紙に絵を描き始めた。

私とHが車に乗っている写真だった。
姪は得意そうな顔をしていたので、もう一枚紙を渡し、「今度はおとうさんとおかあさんとおにいちゃんとRの四人の絵を描いてみなさい」と言った。
紙を渡したとたんに絵を描き始めた。
たっぷり15分以上かけて鍋を囲む自分の家族の絵を描いた。

小学一年生の描く絵だから平面的であったり、構図も変であったりするのだが、集中して描いた絵だから力強い。
後から描いた絵は姪に持たせて、先の絵はHに見せたいから置いていってくれと頼んだ。

妹が買い物から戻ってしばらくしてから、姪は元気よく帰っていった。

夜、レッスン。

12月4日 土 曇り

今日は豊岡へ行きたかった

薬がよく効いているのか、起床したのは11時過ぎ。12時間以上眠っていたことになる。
体調は思わしくない。

昨日、豊岡のIさんから緊急メールが入っていたので何とか体調を戻したかった。しかし体調がよくないままだ。
今日、豊岡の喫茶店で、有山じゅんじさんの豊岡復興ライヴが行われる。急遽決まったのだそうだ。
行きたい。行きたい。
しかし、躰が言うことをきかない。何というもどかしさ。あぁ、情けない。

有山さんの歌が、豊岡の人達の気持ちを明るくさせてくれるのを期待して、ここでおとなしくしていることにする。それにしても行きたいではないか!!!

12月3日 金 晴

何とか起きていられる 体調は悪し

一日半寝てばかりだと躰の節々が痛む。
今日は起きていようと思った。

CDの注文が入ったので、売りに出すCDを選ぶ。長く聴いていないCDばかりである。

12月2日 木

病床に臥す二日目

何度も悪い夢を見て起床するが、今日も起きていられそうにないので、横になる。
結局一日眠っていた。

12月1日 水

病床に臥す初日

昨夜からどうも様子が悪かった。
朝起きてからどうにもいけない。かかりつけのT先生に診て頂く。
二日分の薬を手にして帰宅。
午後1時からレッスンして、その後からずっと眠っていた。

11月30日 火 曇り

今日は二回のレッスン E'news浜松廃刊

今日は4時からと、7時からのレッスン。
お二人とも熱心な方なのでレッスンする方にも熱が入る。
自分が期待している以上のことを目の前でやってもらえるととても嬉しい。うまくなってきているのがはっきりわかる。
これからにも期待してしまうのである。

そろそろ寝ようかなと思っているとE'news浜松の最終号が届いた。何も前ふりがなかった(と思う)ので、とても驚いた。編集長のことが心配である。

11月29日 月 曇り 時々 雨

ギターを弾く

タイトルにするのも変であるように思うが、最近は左手の具合に合わせて弾くため、全く弾かない日もままある。レッスンがない日に弾いたので。

11月28日 日 曇り

レッスンが楽しんでできている

昼過ぎ、両親をお葬式に送っていく。迎えはHに依頼する。

帰宅後、レッスン。各曲ごとに分からない点もあるようだが、総じて弾けていると思う。人にもよるがこの方の場合は2時間くらいにおよぶ。熱心である。

11月27日 土 曇り 時々 雨

元同僚が新たな道を選択する あるれのコーヒーが届く

朝、アメリカ人作家の本二冊に注文が入る。
注文が入るときは続くなあ。嬉しいことである。

元同僚が退職することになった。入社してから同じ職場で8年間、本当にお疲れ様でした。
他の事業部から弦打楽器事業部は「動物園」と言われていた。私が赴任した時の事業部長は別名「猛獣使い」と言われるほど奇人変人が集結した職場に8年間である。一言ではとうてい説明できない期間である。
何度も辞めるタイミングはあったのであろうが、ここまで継続してこられたのはSさんの意志の強さ、粘り強さの賜物ではなかろうか。

事業部が黒字を出していた時期がヤマハドラムの黄金期と言えると思うが、この最盛期を支え続けた一人と言えるだけに、ヤマハドラムにとって、いよいよ来るべき時が来たとの印象である。
私が抜けた後、直属の上司だったS氏がドイツに赴任、Mさんが結婚のため退職し、今年Hagiさんが定年退職で会社を去り、Sさん一人だけ残って頑張ってくれていたのだが。あの時のメンバーが… そして誰もいなくなった……

私はこの会社に15年9ヶ月在籍したが、この五人で仕事をしているときが一番充実していた。仕事はとても大変なのだが、面白かった。その最高の時期のことを語る人が事業部にいなくなるのだ。私が退社して2年弱のことである。なんと時の経つのは早いことか。
ヤマハドラムの顔であったHagiさんが去り、実務の全てを掌握していたSさんが去り、ヤマハドラムも本当の意味で正念場を迎えることになる。

夕方、両親を義弟の祖母の通夜に送っていく。通夜が始まって40分後、Hが迎えに行く。

注文していたあるれのコーヒーが届く。夕食後淹れてもらう。うまい。お代わりしたくなるうまさである。
明日から当分楽しめる。

11月26日 金 晴 のち 雨

音楽雑誌の注文が入った Nさんの訃報 古本屋さんから注文が入る 内田さんの手紙

今日は音楽雑誌の注文が入った。
注文品を出荷前検品していたところ、Michael Hedgesの記事があったので読む。偉大な音楽家であった。参考になりそうなことが書かれているので実践してみたい。これらの雑誌は本日発送する。

ex-Big Boss Hagiからのメールで、Nさんの訃報が届く。
私は一度もNさんとは会話したことがないにもかかわらず、合歓や他の会場でお会いしたことがあるし、Nさんの話は何人もの方から聞き、身近に感じていた。
6年前に発病されて、ずっと闘病生活を続けられていた。ご両親と一緒に住まれるための家を新築中と伺っていたので快方に向かわれているのかと思っていたのだが。
会社のために躰を酷使し、退職後には第二の人生も始まろうかという時に。亡くなる五日前、入院先に常務が来られて定年退社式を行われたとの由。積もり積もった肩の荷がおり、ホッとされたのではなかろうか。

人生道半ばで倒れた人のことをお聞きすると、我が身を振り替えざるを得ない。自分の人生はこれで良かったか。この後はどうあるべきか。
後悔しない人生を歩みたい。納得のいく人生を歩んでいきたい。
Nさんのご冥福をお祈り申し上げます。

義弟の祖母が亡くなった。明夜がお通夜になる。不幸が続く。

一本の電話が入る。
古本業を営む方からであった。うちの在庫品を購入したいとのこと。
古本屋さんからリンクの依頼をされたことは何度もあるが、商品を購入したいとの申し出は初めてであった。その本屋さんでは在庫されていないのであろう。
「彼女にプレゼントします」と電話主の声は明るかった。
何とも嬉しいではないか。
彼女へのプレゼント品をうちの店から選んでいただけるとは。
送り先は直接彼女へ。明日には早速発送しよう。

内田さんから荷物が届く。
内田さんからの手紙。
いづみさんは多くの人の心に残ることを発言してきたし、行ってきたのだと再認識した。
読み返していづみさんを偲びたい。

11月25日 木 晴

福知山へ行ってきた カニを食べた

昨日大量に注文が入ったため、福知山にせどりに行ってきた。
欲しかった英語関連本は全く見つからなかったが、音楽関連と映画関係の本が見つかった。その内アップできればと思う。

与謝峠を越えて福知山へ行ったのだが、台風23号の爪痕はかなり酷かった。
片側通行になっている箇所はかなりあるし、山崩れで道の反対側にある金属柵をなぎ倒した箇所が二回見られた。台風の後にはこの地帯は孤立していたに違いない。台風以前の状態に戻るには来春を待たねばならないのではなかろうか。この冬の往来はかなり気を付ける必要がありそうだ。

帰宅するとカニが待っていた。
今秋初めてのカニだ。コッペである。大きくないカニなので、ほとんど足には身がないが、甲羅の中にあるカニミソが美味いのだ。一人で三匹いただきました。満足。

11月24日 水 晴

英語雑誌に大量に注文が入る

インターネット古書店を始めてから半年が経つが、お一人の方から30冊以上のオーダーが入る。こんな大量オーダーは初めてのことである。
今までだと、セットもので10冊オーダーが入ったり、つい最近英語参考書でお一人の方から10冊以上のオーダーが入ってはいたが。

月によってかなりバラツキはあるが、注文が入り出すと続けて注文が入ってくる。これも法則に入れるかな。

夕方から夜にかけて、プライスの見直しをおこなう。
最初期に値付けしていた本の多くは安くし過ぎていた。こんな安値で売っている本屋はほとんどないのである。

11月23日 火  祝日勤労感謝の日 晴

Jへ行ってきた

MからJにフランチャイズを乗り換えた電器屋へ行く。Mの時に上顧客だった人を集めた内覧会である。
Mの時の雑然とした商品展示ではなく、奥まで見渡せるスッキリとした売り場が好印象である。
今日はCD-Rとビデオテープのみ買って帰る。

午後レッスン。お忙しい方で、日曜日の予定を変更されて今日になった。今日は初めて取り組む曲があったがなかなか雰囲気を掴むのが難しそうである。

11月22日 月 晴

豊岡へ行ってきた

用事があり、豊岡へ行ってきた。
古い橋から街へ入るために、ある交差点を左折して間もなくから、橋に行くまでの間、道路脇が砂利で覆われている。
台風23号浸水時のままの状態で残っていると思われる箇所が散見された。

街に入り、用事を足した後少し走った。
中には「11月3日から再開しました」と大きく表示された看板も目にする。
街の人の顔は暗い。
ショッピングセンター内でも、人の顔には明るさがなく、暗く沈んでいる。
皆さんの顔に明るさが早く戻ってくることを期待している。

11月21日 日 雨

来年以降を考える

来年およびそれ以降のおおまかな構想を練る。
基本は現在やっていること(今年始めた事業)の継続・少し拡大である。
また、新規にやってみたいこともいくつかあるので、可能かどうか考えてみる。できそうなことをいくつかやってみようと思う。

夜、レッスン。

11月20日 土 晴

と歌う

妹が子供を連れてくる。
レッスン室で今日のレッスンのための準備をしていたところ、姪が入ってきて、「歌いたい」と言う。
前に来たときに弾いてやれなかった曲を弾くと、いきなりホワイトボードに歌詞を書き始めた。
背が届かないので椅子に上って腕を上げて、全てひらがなで書いていく。
少し書いたところで次の歌詞は何かと訊く。私が読み上げ、姪が書いていく。
全部書くと言ったのだが、とても書けそうにないので一番だけにした。

姪はホワイトボードを見ながら歌い、私は楽譜を見ながらギターを弾くことにした。
つっかえながらではあるがほとんど完全に歌いきった。本人ご満悦である。
「もう一回最初から歌う」
では、最初から。
二回目もご満悦。

なかなかやるぞ、この子は。

今はまだ一年生なのでどんな感じか分からないが、好きで歌うのであればギターを弾いてあげようと思う。
今日はこれで喜びが一杯なので、ギターを弾きたいとは言わなかった。

久しぶりに散歩するが、ジーンズが足にこすれてとても痒くなったため、いつもの半分くらいで帰宅する。

夕方レッスン。

11月19日 金 雨

毎日レッスンが続く

ライヴの時には二週間くらい全くレッスンが入れられない時があるが、その反面、ライヴが無いときにレッスンが毎日続く。
生徒さんが多いわけではないが、熱心な人ばかりなので、とてもやりがいがある。

今日のレッスンは一番最近入会された方だ。弾き語りがされたい方だ。目的が明瞭な人は上達も早いので余計に熱心になる。
ギターは初めてと言われる割にはセンスが良い。今後が楽しみである。

11月18日 木 雨

本屋に行く

午前10時、整体に行く。
よい感じになっている模様。たまに腰が痛むが気を付けているのでよい感じで回復中と言えるのだろう。

帰宅すると母がいた。いつもは仕事に行っているはずなのだが、シフトが変わって、木金は10時に仕事が終わるらしい。仕事開始時間が4時になって、朝は2:30に起きているとのこと。私たちが浜松に行っている間にそんなことになっていたのだ。

レッスン。月一回の人が先月休みだったので久しぶりのレッスンとなる。前回は秋の曲を仕込もうとしていたのだがもう晩秋。曲目を変更。そこそこコードをつかむのが上手い人で来月のレッスンの時には弾けるだろう。

本屋へ。注文しておいた生徒さん用の本を買いに行く。重要な本はほとんど在庫していないため、いつも注文しないといけない。

11月17日 水 晴れ

ログハウスを見に行く

午後、加悦町に建築中のログハウスを見に行く。若い仕事師が二人で内部を作っていた。
基礎、ログ壁、屋根はすでにできあがっている。
なかなか良いのだが、あまりに両隣が近くてもったいない感じだ。

本屋の注文がよく入ってきてHは忙しい。
私はと言えば来年の活動のことなどを考えている。

今日は内田いづみを送る会である。
内田さんが次の人生を始める第一歩になる。

11月16日 火 曇り 一時 雨

中間配当金の支払通知書が送られてくる

朝、注文が入った本を探す。
既にHが半分以上見つけていたので張り切って探していく内にあと一冊まできた。しかしこのあとが悪かった。探せども探せども見つからず。小一時間くらい探したであろうか。仕事しながら見ていた父が「あそこにも本の入った箱がある」と言った。私とHとで見てみると、そこにあった。
知っていたならもっと早く言ってくれれば良かったのになぁ。まあいいか。それにしてもどんくさい我々である。

お昼に国際為替の換金に郵便局へ行く。さすがにこの郵便局、この手の処理をしたことがなく(送金は何度も私がしたことがあるので分かる人はいる)、十二分に待たされる。海外にお金を送ったり受け取ったりする人がほとんどいないのであろう。
時間はかかったものの換金できた。ドルで欲しいところであったが、ドルは扱っていないとのこと。しかたない。円でもらうことに。
換金できたので、その場でCDを発送した。

午後、郵便が届く。郵便支払通知書が入っていた。
この会社から届くのは初めてだった。そう言えば先日単位株が変更となり、私が持っていた累投の株が単位株になったのだった。
累投の時にはあまり身近に感じなかったが、単位株になり、一人前の株主になると急に身近になる。本が二・三冊買えるくらいの金額だが、配当金は嬉しい。株ではいい目をしたことがないが、この配当金は嬉しいなぁ。

レッスン。あまり練習が進まないと言われる割には要所要所を押さえられている。次回は新曲を加えることになった。

11月15日 月 曇り 一時 雨

アメリカからCDの注文が入る

朝10時に浜北を出発。東名高速が集中工事中なので、ある程度は予想していたが、大渋滞であった。我が家に着いたのが夜8時。
10時間を要す帰路となった。

帰宅すると少しの郵便があった。その中にアメリカからの私信が。
封を開けるとCDの注文であった。国際為替が入っていた。嬉しい。

11月6日 土 晴

カニ漁解禁

あまり実感が湧かないがカニ漁解禁である。いよいよ冬が近づいてきていることを感じる時期だ。

明日から留守をするので部屋を片づける。台風の影響で片づけるものが多い。

午後レッスン。謙遜されているが、うまくなられている。
最初はアルペジオ奏法がしんどいかなぁと思っていたが、かなり形になってきた。真面目に取り組んでいる人は上達していくものだ。

11月5日 金 晴

手にマメができる

台風で被災した人向けの特別廃棄期間があまり長くないことが分かり、今日の午後に片づけることにした。

昼前に伯父に電話して、軽トラックを貸して欲しいと頼み、電話をした直後取りに行った。
手ぶらではなんなので、厳選した(試飲したわけではない)純米酒を買って行く。

今日は台風で倒れた木の廃棄だ。1m以下の長さに切らないといけないので大変だった。

ムキになってノコギリをひいたせいか右手親指にマメができた。アホやなぁ。
数十分で凄い汗かいた。

二本分の木と崩落した壁の残りのため、軽トラックで4回の往復となる。
私は相変わらず腰が危険な状態であるため、廃棄場には父とHに行ってもらった。

ガソリンを満タンにして車を返しに行く。伯父は外出していて留守だった。自分の車で帰宅する。

台風が来てからというもの、かなり重労働をしている。普段から鍛えないといかんなぁ。

11月4日 木 晴

初めての生徒さんが来られる

午前中から午後の浅い時間帯まで、レッスン室を元の通りに戻していく。重い物を載せると危険な場所もあるので、そこには重い物を載せないようにした。
ここに置けない分は他に置かないといけないのでそれを考えるのが大変だ。

夕方、初めての生徒さんが来られる。全然弾いたことがないと言われる割には、コード覚えが早く、期待できそうである。
これから弾いていく曲を決定する。

本日二人目の生徒さん。丁寧で、音符の長さも正確に弾けるのだが、練習時間が短いせいか、もう少しの感じが残る。惜しい。
十分な練習量が取れればうまくなっていく人だと思う。

11月3日 水 晴

外壁・内壁工事完了

今日は休みかと思っていたが、最後の足場撤去に来られた。お一人で全ての足場を撤去。なかなか難しいことだと思う。
少し残っていた落ちた壁や木の粉・屑などを掃除して、全て終了。足場が組まれた日からジャスト一週間。最初の見積通りの日程である。

Hが迎えに行って姪を連れて帰ってきた。ここ大宮の産業祭があるからだ。あまりに人手が多いので会場の市庁舎前まで歩いて行った。この正面の建物が母校である大宮中学校だ。新しく建て直されていて通っていた頃の雰囲気は全く残っていない。

久しぶりにTに会う。とても話の合う奴で、私が浜松にいた頃は年に一度は会っていたのに、丹後に帰ってきて2年になるというのに一度も会っていなかった。いつでも会えると思うと会わなくなるものか。奴も忙しい身であることは知っているので、遠慮しているせいでもあるのだが。

同級生にも会ったし、同級生のお母さんにも会って挨拶したが、意外と知っている人が少ないように感じた。丹後を20年離れていたわけだから無理もないが。

姪が欲しいというものを選んで食べて、人形劇を見て我が家に戻る。

妹が姪を連れに来た。昨日忙しかったので、今日が甥の誕生会のようだ。姪は「ハンバーグを食べる」といって喜んでいた。やはり子供である。

11月2日 火 曇り 一時 雨

甥の誕生日

内装屋さんが来て、クロスを貼る。一日かかると思っていたので宮津に出かけた。

贔屓にしているブティックが新聞折込広告を出していた。台風23号の被害を受けていた。女主人の話だと40cmの水がついたらしい。海に近いのでかなり被害が大きかったらしい。この店の南側では1m以上の水害で、5年前にも床上浸水していてその後に床の高さを上げたのだが、今回も水がついたとのこと。どうにも悪い土地はあるものだ。

この店が扱っているブランドが好きで、この店ではよく買っている。今日はあまり豊富にはなかったが、シャツで良いのがあったので一着買うことにした。高い品物だが、こういう時だからこそ、買い物をすることでこの店が活気を取り戻してくれることを期待したい。

ミップル1階の魚屋が撤退していた。ここは酒屋が撤退していて、今度は魚屋。1階の大きなスペースを占めていた店が無くなると活気がなくなるな。このショッピングセンター大丈夫かな。

正午過ぎ、家に帰ると内装工事が終了していた。昼食を用意している最中に叔父が来る。ホームページに使う写真を持ってこられた。今までと違って楽しそうである。自分達のホームページがだんだん形となっていくのが面白いのであろう。

Hが午後5時半にケーキを予約する。意外と在庫が無く、4軒目にしてやっと予約が出来た。時間が少し遅かったのかな。

母とHと三人でケーキを取りに行った足でそのまま妹のところへ行く。

家に着くと姪が出てきた。甥は妹と一緒でまだ帰ってきていないとのこと。
二人を待っている内に、義弟、義父母も玄関に出てきた。忙しそうである。そうこうしている内に甥を連れた妹が帰ってきた。
ケーキと持参したものを渡して帰宅する。

甥から電話がかかってきて、Hに言った 「ケーキおいしかったよ。ありがとう」

11月1日 月 曇り 一時 雨

内装業の方が寸法を測りに来られる

クロスの発注が間に合わなかったと土曜日に聞いていたので、今日は何もなしと思っていたが、午前8時過ぎに内装屋さんが来られる。クロスを貼るための寸法を測って帰られた。この間、約15分くらい。
やはりクロスの到着は明日の朝なんだろうなぁ。

10月31日 日 雨 一時 曇り

角の部分が取り付けられた

午前8時過ぎ、外壁は角の部分を取り付けに来られた。昨日、一昨日とは別の方である。要領が良く、10時になる前には完了。様子を見に行ったら既に帰られていて姿はなかった。

午後レッスン。私は寒さに弱い人間なのであるが、この生徒さんも寒さに弱いらしく、冷えると指の動きが悪くなるとのこと。指を動かして音楽を作り上げていく人間にとっては動きが緩慢になっていくのはとても苦痛なのであるが、容易には解決ができないことである。指をこすってあたためるなり、手袋をするなり、様々なことをためしているのである。

レッスン後、先日の台風で倒れた木の枝を母が燃やしていたので手伝う。かなり勢いよく燃える木で近所の迷惑にならないよう火力を調整しながら燃やしていたのでかなり時間がかかった。そろそろ終了しようと思った頃に雨が降り出し、しまいには大雨になった。

典正氏の個展詳細が届く。楽しみの個展である。

10月30日 土 雨

南澤大介氏からソロ・ギターのしらべ第6弾、法悦のスタンダード篇が届く

午前、昨日の続き、外壁は角の部分以外、昼食までに全て貼れた。角の部分はどなたか別の方が工事されるらしい。
午後は内壁工事。ボードを貼る作業である。夕方までに完了。
明日は工事休み。

南澤大介氏からソロ・ギターのしらべ第6弾、法悦のスタンダード篇が届く。
今回の作品には私のことを書いてくださっている。
48ページ。風の歌が聞こえるについて書いてくださった。文中に書かれている「君に届く夕焼け」を聴いて頂いたのは今年の7月24日、浜名湖花博で野外ライヴした時のこと。ライヴ終了後の写真が下記である。

さすが南澤氏。少し弾いただけでこの楽器の特徴をつかんでいた。これも作曲家・編曲家である所以か。ただのギタリストではないのである。正確にはギターを弾く作曲家である。

付属されているCDを楽しませて頂こう。

どうしてもログハウスの雑誌が欲しくて隣町の本屋に買いに行く。やはりログハウスは良いなあ。最近ログハウスの本を買っていなかったのだが、これは楽しめる。

10月29日 金 快晴

外壁修理が始まる

午前、F工務店から三人来られ、残った外壁崩しから始まる。かなり落ちたと思っていたのだが、総面積の1/5くらいは残っていて、この部分を落としてもらうのにかなり時間を要した。それでも午前中には落とせ、杉板を下から貼っていかれた。

父とHと私は落ちた外壁を土嚢袋に詰め、父とHに処理場まで車で運んでもらった。午前中に二度と午後から五度くらいだったろうか。かなり重量があるので、土嚢袋に詰められる限界があり、何度も往復してもらうことになった。土嚢袋詰めは3時間以上やることになった。
少し腰が痛む。重い物を持つのはこの辺が限界かな。

午後5時半に終了。杉板は全体の3/5くらい貼れた。明日晴れれば続きになるのだが、雨が降りそうなので雨が降れば内壁工事になる模様。

10月28日 木 快晴

足場が組まれる

午前、伯父が紀州土産とさつまいもを持ってきてくれた。
グループで所有しているビニールハウスは先の台風で全て吹き飛び、作物は全滅とのこと。話は聞いてはいたが、今日実際に伯父の口からそう聞いた。

Acoustic Breath Vへの応募作品を聴く。お二人分。良い曲である。演奏も良い。Acoustic Breath Vの出来が楽しみになってきた。
応募作品はこれから少しずつ送られてくると思う。

午後、叔父が来る。ホームページの件である。近いうちに簡単なものを作り上げないといけない。

叔父と話を進めている段階で、F工務店の三名が足場を組みに来られた。
今日は足場を組むだけで終わる。内壁も修理していただくのだが、一週間くらいかかるだろうか。

工務店の方々が帰られた後に、材料屋が壁板、シート、釘を持ってこられた。

お隣二軒に明日から工事が始まることをお伝えする。

10月27日 水 雨

壁材を見に行く

朝から寒いと感じていたら、テレビでは、札幌は7センチの積雪と告げている。寒いはずである。今夜から明日にかけてはさらに冷えるとのこと。

離れの修復を依頼しているF工務店に壁材を見に行く。杉板にする予定である。
高級なギターを一本売ればなんとかなりそうな見積金額であった。この際致し方なかろう。

午後レッスン。数日かけてこの曲を仕込んできたが、変更したいとのご要望。
ライヴ向きの曲ではないし、難しい曲なので致し方ないと思う。替わりに選ばれた曲はとても甘い曲。ライヴには向いている。弾いていても気持ちよいのではないだろうか。

ある雑誌が欲しくて本屋に行くが、それは見つからずに国家破産の本を買ってしまった。何冊目になるだろう。
最近この種類の本が多いが、この本には甘い見通しは全く書かれていない。絶望の書と言っても良いかも知れない。
読めば間違いなく落ち込む。しかし、現実から目を背けることはできない。
日本国が破産するのは時期がいつかの問題だけであって、必ず破産する。
問題はそうなったときの心構えができているか、口をあんぐりと開けて放心状態を続けるのかの違いである。
資産がゼロになった後、どのような形で再生していけるか、真剣に考えないといけない時期に来てしまっているようだ。

10月26日 火 雨

英語の新ページを作る。www.harpguitars.netハープギタリストとして紹介される。私のホームページがリンクされる

どうもやりだしたら一気にやってしまう性格らしい。
なかなか止められずに最後までやってしまった。
英語版の雑誌・ムック・新聞・ラジオ・テレビの中の安田守彦ページを作る。

一時に弾くと左手に負担がかかるため、ギターを弾いてはホームページを作ることをしているが、今日は一気にいってしまった。
レッスンのための準備を始めよう。

夜、レッスン。

レッスン終了後、www.harpguitars.netのホームページ(http://www.harpguitars.net/index.htm)を見ると、私の項目が新設されていて、リンクもされていた。プレイヤーのページ(http://www.harpguitars.net/players/players.htm)である。
日本以外のホームページに自分のことが紹介されるのは元より、リンクしてもらうのも初めてのこと。めでたい。

Contemporary Music Harp Guitaristsの中のConventional Harp Guitaristsの一人として、Muriel Anderson, Stephen Bennett, John Doan, William Eaton, Michael Hedges, Gregg Miner達、そうそうたるハープギタリストの最後に(アルファベット順だから)名を連ねていただけることになった。
大変名誉なことで身が引き締まる思いである。Mr. Frank Doucetteの紹介文は下記の通りである。

Morihiko Yasuda

Michael Hedges’ harp guitar playing brought the instrument to Morihiko Yasuda’s attention. Upon hearing John Doan’s “Departures” recording, Mori was hooked. He is now the proud owner of not one, but three harp guitars from revered Japanese luthier Mitsuhiro Uchida. The first, completed in 1994, is a 24-string (6 sub-basses, 6 on the neck, and 12 super trebles) instrument modeled after John Doan’s 20-string harp guitar. 1997 saw the birth of the 18-string (6 on the neck and 12 super trebles) Mignon harp guitar. Mori then welcomed a 27-string (6 sub-basses, 6 on the neck, and 15 super trebles) Terz (tuned a third above normal pitch) harp guitar in 2001. The 24 and 27-stringed instruments each feature a different dual soundboard design. These have a secondary soundboard, that extends into the body of the instrument, for the sub-bass range. Mori composes original music that is inspired by the wonders of everyday life, and is a conscious reflection of his Japanese identity and heritage. -FD

因みに、Non-conventional or Peripheral Harp Guitaristsとして、Tim Donahue, Todd Green, Pat Methenyの名前がある。

日本の人は元より、世界中の人に私の音楽を知って頂きたい。聴いて頂きたい。 今後さらに精進していきたいと思う。良い曲作って、良い演奏がしていきたい。

10月25日 月

CDの注文が入る

台風で被災してから、多くの電話、メール、ハガキが届き、贈り物も届いた。
なぜか注文が沢山入るようになった。
台風にあって被害を受けたことをしっているのかどうか分からない人と、分かっていて注文して下さる方がある。

分かっていて注文をくださる方は特に有り難い。とても嬉しいのである。
どのようなお言葉・支援でも、とても嬉しいのだが、注文をいただけるのはとりわけ嬉しい。
私たちの事業の復興を望んでいることを心から望んで下さることが伝わってくるからだ。
また明日も頑張らなければと気持ちを新たにする。気持ちに応えたくなる。

10月24日 日 晴

セメントを練る

昨夕起こった新潟県中越地震の状況が徐々に分かってきて、恐ろしいばかりだ。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
今年の自然災害は今までにない規模の大きさで、自然の凄さと命の尊さを改めて感じることが多い。

朝、台風により破損した庭の一部を修復するため、父が買ってきたセメントを練る。
前にやっていて腰を痛めたことがあるので気を付けながらのセメント練りである。
補修は父がした。
こんなふうに何かを父と一緒にすることなどあまりなく、不思議な感じである。

母屋も離れもあまり強度が強いとは言えず、何か良い方法を考える日々である。

新潟県中越地震で被災した人がインタビューを受けている。なぜか笑っている人が少なくない。
自分が被災してみて分かった。
あまりにひどい状況に陥ると、人間笑うしかなくなってくる。
泣けるのは前の段階で、それを越えると笑えてくる。
「もう笑うしかない」と言う言葉は経験から出た言葉である。

被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

10月23日 土 曇り 時々 晴

クーラーを外す

離れの二階にクーラーが取り付けてある。これは確か私が高校一年生の夏に取り付けてもらったものだ。25年以上が過ぎている。この部屋に生活するようになって一度も使用していない。使えるのかどうかも確認していない。

今回の台風でこの部屋に雨が染みこむ原因となったので、今回取り外すこととした。
頑丈で、なかなか動かなかったが、ねじを外していくと最後には外せた。かなり重い。

自分で下ろせたらよいのだが、重度の腰痛持ちなので父とHに下ろしてもらうことにした。一段ずつ階段に置いていかないと下ろせないくらい重い代物だ。一階に下ろしてからの平行移動はあまり問題がなかったので、父と私とで運んだ。

夜レッスン。台風の被害にあって初めてのレッスン。昨日も一昨日も入っていたのだが、部屋が整理できていないため、キャンセルさせて頂いたのだ。
問題なくレッスンをすることができた。

10月22日 金 晴

部屋を片づける

朝から畳と部屋を乾かす。

午後、畳を元の位置に戻し、サイドボードも元の位置へ。
これで明日以降のレッスンはできるのではないかと思う。
今回と同じような台風さえ来なければ。
24号の動きが心配である。

10月21日 木 雨 のち 晴

台風一過大忙し

朝から大忙し。まだ眠いのに、我が家の近くで話しているおばあさんの大きな声で起きる。

まずは崩落した外壁を父とHと私の三人で安全な場所に運んだ。

床下浸水を心配した叔父が様子を見に来てくれた。浸水は免れたが、被害を受けた離れを観て絶句。
隣の土地側に倒れた椰子の木を伐採。次の台風で倒れる危険性のある木も伐採した。

妹が来て、教室にしている部屋をHと一緒に片づけてくれた。濡れた二枚の畳をあげて乾燥させる。今日仕事で神戸に行く予定だった義弟も予定を変更してきてくれた。外壁の落ちた跡を調べて二人は一旦帰宅した。

午後義弟は大工さんを連れて来てくれた。応急処置して養生シートを張ってくれた。二階部分は高いので足場でも組むのかと思いきや、大工さんは伸びるハシゴを使ってサッサと上っていく。ほれぼれする仕事ぶりだ。義弟と二人で1時間くらいで応急処置完了。すぐに対応してくれて有り難い。

妹が子供たちを連れて来る。甥と姪は彼らの父親が仕事をする場面を少しだけ見ることが出来た。

伯母が旅行土産を持ってきてくれた。離れのことは全く知らずに来られた。離れを見て叔父同様に絶句。

夕方になって、ずっと繋がらなかったインターネットが繋がった。親切なプロバイダーの担当者のおかげである。有り難い。

昼もニュースで放映していたが、夜も台風ニュースを見たところ、東の舞鶴市、すぐ近くの宮津市、西の豊岡市と大変な災害になっているのを見て、我が家の災難はまだ軽い方であることが分かった。我が家のすぐ近くを流れる川が決壊しなくて助かった。昨夜午後3時頃、母を職場に迎えに迎えに行く際、土手の一番高いところまで1メートルなかったから、決壊の不安はあったが何とか持ちこたえられた。舞鶴の由良川、豊岡の円山川は持ちこたえられなかったと言うことだ。一級河川の近くに住むのはこういう時にはかなり危険であることを感じた。
また、叔父や義弟・妹の話だと、周りに隣家を持たない一軒家はかなりの被害を受けていると聞き、このような自然災害の場合、家が繋がっている方が安全であることも理解できた。
我が家の庭から見える、線路、竹野川の向こうにある二階建ての大きな納屋は屋根が完全に無くなっている。このような状態に近い一軒家がそこそこあるらしい。いろいろと考えないといけないことが増えてくるな。

何人もの方々から電話・メールをいただき、大変勇気づけられた。このような方々の声、文面の気持ちに支えられ、とても幸せである。

10月20日 水 雨 台風直撃

台風23号我が家を直撃 忘れられない日になる

朝起きたときはまだ大したことなかったが、だんだん大粒の雨に変わりつつあった。

台風は超大型と言われていた。正に超大型だった。
あまりに激しい、横殴りの雨のせいで雨漏りが始まった。4面の内、1面だけが雨漏りした。一時そこを離れて母屋で数十分過ごした後戻ってみると、今度は違う面が雨漏りとしているではないか。しかもかなりの雨漏りだ。その面に置いていた本、CD、オーディオを部屋の中央に移動させる。その間にも雨漏りは進む。。。

あまりの雨漏りに父が様子を見に行った。戻ってきた父は冷静に「コンクリートが落ちてた」 以前にひび割れした箇所を父が修復したのだが、その箇所が落ちたのだとばかり思っていた。その後もあまりの水の進入と壁の揺れに不審を感じ、Hと見に行ったところ、ほぼ外壁一面が崩落していた。

私もHも愕然とした。次の言葉が出なかった。
虚しい気持ちで元いた場所に戻り、雨漏りを必死に防いでいたが、あまりにも恐ろしい風のため、時折内壁から離れざるをえなかった。

夜に最初の停電。これが原因か、インターネットが繋がらなくなった。雨漏りに対処している間に1分くらいの停電が2度。このようなことを6時間くらい続けているうちに4度目の停電。いつまでも復旧しないので就寝しようとしたが、風があまりにも強く夜中の2時くらいまで眠れなかった。
結局この停電は午前4時台まで復旧しなかった。

予想に反して母屋はなんとか持ちこたえたが、ギター教室をしている離れの外壁崩落で半壊とも言えず、「1/4壊」あるいは「半々壊」と言ったところか。

10月19日 火 雨 台風接近中

今日は健康診断

昨夜7時頃に夕食を終え、9時前に最後のルイボスティーを飲んだ後、一口も何も飲まずに就寝。
朝、6時過ぎに目が覚めてギャラリーページに手を加える。

自治会まで自転車で行き、9時から検診を受ける。全行程1時間ジャスト。昨年より早くに終われた。高校でのクラブ、アメ研(アメリカ民謡研究クラブ)の後輩に会う。元気そうであった。会うのは7、8年ぶりくらいか。

正午に昼食。15時間くらいの絶食終わる。たまには断食は良いと思うのだが、なかなかできない。

英文ページは一区切りつけるつもりでいたが、内田ギターページを簡単に作った。あまりにあっさりしているので、肉付けをしていかないといけないが、今日の所はこの辺で。

10月18日 月 晴

英語のライヴギャラリーページを作る

15日にメールをもらってから英文ページばかり作っているような気がする。
取りあえずここまで作って一息というところか。少しずつでも内容を充実させられればと思う。
このメールの主は近日中に明らかになるでしょう。

10月17日 日 晴

きやすめ洞でのライヴ

朝6時に目を覚まして準備する。7時45分に出発して、11時頃に到着した。走行距離140キロくらいである。
きやすめ洞。上田哲郎さんが自身で作られた総二階建ての大きなお家の二階がライヴ会場。
お二人の音響スタッフがついてくださり、心強い。いつもこんな環境で演奏できれば最高なのだが。贅沢な環境であった。
音出し終了後、昼食をいただいた。
いつもなら演奏前には食事をしないのだが、上田さんの料理を食べてみたかった。

シーフードリゾット、かぼちゃのサラダ、蕪にサーモンとレモンを挟んだ一品。たいらげてしまい、おなかいっぱいに。

お客様は京都市内、琵琶湖東岸(きやすめ胴は西岸になる)など、遠くからおみえの方ばかり。有り難く演奏させて頂いた。
前半6弦ギターの演奏、後半ハープギターの演奏。
演奏後にハープギターの説明をするときにはみなさんが前に来られた。やはり珍しい楽器なのである。

ライヴ終了後はケーキ、アイスクリームとコーヒーのセット。なんと贅沢な会であろうか。
お客さんで参加したい集いではないか。

上田さんありがとうございました。

夜、寝る前にアルバムページの内容を確認してアップする。

10月16日 土 晴

英語のアルバムページを作る

アルバム紹介ページを作る。さすがにここは微妙な決定事項があり、慎重に進める。

10月15日 金 晴

英語のページを作った

昨夜から探していた切手が今朝見つかった。昨日からの所要時間と合わせて30分くらいか。極力捜し物の時間は少なくしなければ。

11月に予定していた、あるライヴを中止にする(ホームページではその予定は公開していなかった)。うすうす危ういものを感じ取っていたのかも知れない。主催者から中止なり延期なりの決断をして頂きたかったのだが、こちらもレッスンのスケジューリング等の事情もあり、こちらからキャンセルさせていただいた。

必要は作成の母。
今まで英文ページを作らなかったのに、今日届いた英文メールを読んで、作ることにした。
大した文章ではないが、英文を書くことがあまりないのでぎこちない。とにかく必要最低限くらいの情報を載せることで今日はよしとしよう。

トップページにEnglish Pageのリンク元を設け、ここから、プロフィールにとび、ここからギャラリーや音源のページにとべるようにした。
日本版をただ英語にするだけではなく、誌面構成を変えたところもあり、やや時間かかる。

4年5ヶ月間も、<Japanese Only>で来たのに、作るときには一気に作ってしまい、なんだか変な感じである。こんなことならもっと早くにやっとけば良かったかな。でも必要に迫られなかったらいつまで経ってもやっていなかったかも。
感慨深くこの<Japanese Only>の文字を消去した。
必要は作成の母。

夕方レッスン。新しいギターを購入されていた。良い音がしている。上達に一役買うであろう。

10月14日 木 雨

久しぶりに内田さんに電話した

10時整体に行く。躰を揉みほぐしていただく。

午後になって、酷い雷とともに豪雨。短時間で終わって良かったものの、長く続くと不安になるのである。
今年のように頻繁に台風が到来した年に水がつかなかったのは奇跡的か。

いくつか確認したいことがあり、内田さんに電話する。久しぶりのことである。
内田ギターリストに勘違いしていたことがあり、修正する。
元々アコースティックファンフェアに出展される予定だったが、今回は出展させる楽器が間に合わずに見合わせることになったとのこと。
当初から私たちは今年のファンフェアには行く予定が組めなかったので、悔しい思いをせずにすみそうだ。
2010年に製作できる枠は残り1本。2011年からは価格が変更される。

せどりしてきた本の整理をする。Hに少しずつアップしてもらおう。

10月13日 水 晴

来訪者が50,000人を越えた

このホームページへの来訪者が50,000人を越えた。4年5ヶ月で5万人なので、順調に推移している言って良いであろう。
今後より内容の充実したホームページにしていきたいと思う。

夕方からレッスン。久しぶりになる。始めるとのってきて、つい長めのレッスンになってしまう。生徒さんが満足して帰って行かれるので充実度大。

9月30日 木 台風一過 晴

が綺麗だった

昨日の台風は凄かった。今年一番の危険を感じた。今回も少なからず犠牲者が出たようで自然災害の恐ろしさを再認識する秋である。

明日の準備をする。まだ腰は痛いが何とかなりそうだ。

午後散歩していると東側に虹が出ていた。なんだかとても晴れ晴れとした気分だ。虹はいいなぁ。

9月29日 水 台風

台風の勢いがすごい

留守にする前に注文を受けていた本を全て出荷できてホッとする。

ギターを注文されていた、来月からレッスンに来られる方のギターが入荷。午後手渡し。とても喜んでおられた。そこまで喜んで頂けるとこちらも嬉しい。

夜になって台風の勢いが増してきた。
我が家のすぐ前の溝(幅30cm深さ30cmくらい)が溢れでんばかりの水量に増えていて急遽在庫を移動する。
限りなく地面に近い在庫から移動。腰を痛めているから大変だ。こんな事でもなければやらないのだが。。。 商品が水につかるとおじゃんだし。
貴重な本が多いので自ずと躰が動いてしまう。20分くらいかけてなんとか移動した。

地面から5cmくらいのところにある在庫品については様子見。実際これを移動することになると腰がまた壊れてしまうかもしれない。あぁ。

間人(たいざ)の叔父から電話が入る。「雨大丈夫か。水かつかんか心配になって電話した」 嬉しいではないか。この地はよく水がつくらしい。らしいと言うのは私はもう20年以上経験していないからだ。
実際に水の動きを見ているとつきそうな感じはする。
こういう心配をしなくて良い家を建てられるようになりたいなぁ。

今日の夕方届いた本を読了し、感想文を書く。

9月28日 火 晴

レッスンはけっこう面白いが

夜、レッスン。
レッスン自体は面白い。しかしレッスンが終わった後の、

9月27日 月 晴

秋の大江山を越えて

午後すぐに振込の確認ができたので急遽福知山に行くことにした。
どうも昨日のことが引っかかっていて、今日もせどりをしたくなってきた。

普通ゆっくり走ると1時間弱の福知山だが、流れに沿って走ると40分強で着いた。何と豊岡に行くのより早い。驚きである。
丹後地方最高峰の大江山を越えていくコースなので、雪の降るシーズンでは全く不可能である。おそらく冬では怖くて走れないだろう。

前回から何ヶ月か経っているから珍しい本もあった。これはと言う本をせどりする。
新刊のアフィリエイト関連本を探しに○ャス○に行く。広いだけで取り立ててこれと言うものがない。ここにある本屋はどうしようもない品揃えだ。まあ金太郎飴書店と言えばよいか。

出入り口のところにあるパン屋へ。試食用に一口大に切ったパンを食べる。もちっとしていてうまい。3種類計3個買った。パン屋での買い物は意外と高い買い物になる。分かっていてもパン屋には入ってしまう。性分だな。

せどりした本をリストアップできるように準備しておいて、散歩に出かけた。日の入りが近づいていたからだ。
大江山がよく見えるところまで行って振り返る。散歩の往路では大江山側を背にして歩くのである。
大江山は少し雲がかかっていたが見えた。今日はあの山を越えてきた。随分と遠くに見える。

9月26日 日 曇り 一時 雨

失われた時を求めて

午前10時過ぎに家を出て、豊岡に行く。久しぶりのせどりである。
50分くらいで店に着いて本を探す。早々にマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の函入り全訳セットを見つけた。欲しい。しかし重そうだ。たぶん売れないだろうから、帰る直前にそれを持ってレジへ行こう。
場所を変えて文庫本棚、単行本棚で面白そうな本を探す。20分くらい経ったろうか。「失われた時を求めて」が置かれていた平台に行くと「ないっ! 失われた時を求めてがない」 唖然とした。たった20分しか経っていない。お客さんもまばらである。いったい誰が買ったのだろう。豊岡にこの本を読める人がいるのか。とても複雑な気持ちで手にした本を持ってレジに行った。
悔しい。甘く見ていた自分が悔しい。そもそも手さえ痛くなければ一番先にカゴに入れられたのに。

悔しい気持ちを引きずったまま、Aityに行く。アフィリエイトの本を探したが、しょうもない本が一冊あるだけで買うのを止めた。

帰りにKK亭に寄りたかったが、駐車場は満杯で、止まれない車が待っている有様。結局本以外は何も買わずに帰宅。

豊岡に行く道中、パッシングした車が二台。何かあるなと思っていたところ、ねずみ取りをやっていた。そのため最初から最後まで安全運転したが、片道50分で行けた。

腰を痛めていたので数日散歩を控えていたが、今日はゆっくりと散歩した。曇りなので最高とまではいかないが、やはり散歩はいいな。

9月25日 土 曇り

イランの民族楽器

いつも楽しそうに歌って帰られる生徒さんは民族楽器のコレクター。本人はコレクターの意識はないらしいが。
今日のレッスンにはイランの楽器を持ってこられた。名前はカマンチャと言う名らしい。
ヴァイオリンを縦にして弾くような楽器と思えばイメージしていただきやすいだろうか。

民族楽器にはありがちだが、どうにもチューニングが難しい。レギュラーチューニングが分からないのも困りものだが、一対一のギア比を持つ糸巻きだからなかなか音が合わない。何とか音を出そうと試みるが、悪戦苦闘しても無理だった。単なる雑音でしかない。

見せていただくごとに写真を撮っておきたいところだが、いつも忘れてしまう。

9月24日 金 曇り 時々 雨

郵便物持って郵便局へ

急ぎで出す荷物を持って朝一、郵便局へ。速達で出す。ここで初めて知ったのだが、速達とする場合、冊子小包より定形外(普通で出せばこちらが高い)の方が割安であることが分かった。安いと言っても10円安くなるだけだが。

10月3日の件で、花博会場に電話する。既に郵送したとのこと。いつ着くかな。

M氏から荷物を送りましたとのメールをいただく。楽しみである。

午後ギター教室の生徒、Sさんが来られる。明日レッスン予定日だったが。。。
昨夜二階から降りる際、落ちた拍子に右手を着き、小指を脱臼されたらしい。小指と薬指が固定され、包帯がぐるぐる巻きとなっていた。痛そ〜。
力が抜けた。
取りあえず明日のレッスンは無理だ。骨折でなかったから不幸中の幸いだが、二ヶ月くらいはレッスン無理だろう。もっと長く休まれるかも。
熱心な方だから残念であろう。

夕方今日二度目の郵便局へ。商品の発送。

夕方レッスン。熱心な人である。真面目に練習されてこられているし、よく質問もされる。こちらも期待に応えたい。今日は(も?)二時間くらいになった。
あっという間に時間が経つ。

9月23日 木 秋分の日 晴

の痛みが悪くなってきた

昨夜眠る前にどうも腰がジクジクしていた。イヤな予感がした。
朝、腰の痛みで目が覚めた。腰が痛くて目が覚めるなどということは一年に何度もない。

9月7日に痛めてから、少しずつ良くなっていたのに、元に戻ってしまった感じだ。あまり大きな動きがとれない。

父が米をつきにいくと言うので、運転だけをすることを条件に従う。とても10kg以上のものは持てない状況だ。
なんとも情けない。また今日から少しずつ治していかなくてはならない。

午後レッスン。ギターを弾くだけではなく、自分でアレンジしたい人なので、アレンジの基本のきを始めた。一朝一夕にはできないことではあるが、地道にやっていくと必ず役に立つと思う。

腰が痛むので早めに横になったがなかなか寝付かれず。本を読みつつ眠気を待つ。

9月22日 水 雨

CD風の歌が聞こえるの注文が入る

嬉しいねぇ。やはり自分のCDの注文が入ると格別だ。とても嬉しい。
発表して7年になる。セカンドアルバムを作って欲しいとの声もいただくがなかなかことがうまく運ばない。特に腱鞘炎の影響は大きい。
ソロアルバムが一作しかないが、買って下さる方がある。嬉しいではないか。
思い入れのあるアルバムである。これからもいろいろな人に聴いていただきたいと思う。

お昼過ぎからレッスン。生徒さんの中で最もテクニックのある人で、クラスとしては中級の内容でやっていくしかない。大まかにでも譜面に書かれている通りに弾かれる。レッスンでは細かいことばかり説明している状態で、初級のレッスンとは全く異なる。3、4ヶ月後が楽しみな人である。

振替で送金していただいた方の本を発送する。

ライヴ依頼が入る。しかしその日は丹後にいるのでした。あぁ。もう少し早くにご依頼いただいていればなんとかできたかも知れないのだが、ご希望日の前日にレッスンが入っている。またの機会をいただけると嬉しいのだが。

夜、M氏から電話が入る。
なにやら嬉しいことを計画されているらしい。楽しみである。
それにしてもセカンドアルバム。そろそろなんとかせんとな。計画だけでも練らないと。

9月21日 火 雨

お薦め本に注文が入る

10時半に整体へ行く。まだ硬いなりに少しよくなっているようだ。

午後からの雨がひどかった。何度かこんな降り方があるだろうと思い、小降りになったときに、銀行・郵便局へ行くことにした。
三連休だったせいか、いつもなら入金されている時間に入金確認ができずに今日は発送ゼロである。

夜、割と早めの時刻に注文が入る。大抵は夜パソコンを落とす前には注文は入らず、朝注文を確認することが多いのだが、早めの時間に入ってきて、在庫確認も簡単にできた(たまには在庫確認で20分以上もかかることがあるが、今日はいずれも3分以内に在庫確認ができた)。
それにしてもお薦め本が売れると嬉しいな。

9月20日 月 敬老の日で祝日 晴

妹が来てピザをおいてを持って帰った

珍しく午後3時くらいに散歩に出かけた。平日だと小学生や中学生が多いので、散歩に出かける時間を考えるのだが、土日の散歩コースには人が少ない。

家に帰ってしばらくすると、妹が娘を連れてきた。
手には自分で作ったピザを持っていた。生地を薄くして焼いた私の好きなタイプのピザだ。
母は少し前にパンを食べたと言っているので、先にいただいた。美味しかった。

替わりに母が妹のために買っておいた餅を持って帰っていった。

片道20分以上必要とするところに住んでいるが、よく来てくれると思う。母と妹は仲がよい。私や弟には理解できない部分があるのだろう。

最近特に来るのが多いのは、「韓国ドラマ」のためである。Hがいれば彼女が録画できるのだが、私には全く操作ができない(覚える気がない)ので、妹が録画したものを持ってきてくれている。
飽きもせずよく見ているのである。

9月19日 日 晴

CDケースを買いに

語学本に付いているCDを入れるためのケースが欲しくなり、散歩コースを少し延ばして、ダイソーまで行く。
いつ行っても、なんでこんなものまでが105円で、と感じるものがある。

24枚入るCDケースを見つけた。
その近くで、父がいつも探しているフロッピーディスククリーナーを発見し買う。喜ぶだろう。

散歩から帰ってくると母が庭の手入れをしていた。
知らない間に父がいなくなっていると言い、父がキンモクセイの枝斬りをしようとして、踏み台から落ちて足の裏を怪我した話をしてくれた。
怪我したにも拘わらず、父はいつもの遊技場に行ったようだ。母の小言を聞くのがいやなのだろうなぁ。

9月18日 土 曇り 一時 雨

この、お母さんにあげる

母の定休日、妹が娘を連れてくる。
二人が我が家に来た直後、Hが浜北から送ってくれたパンが到着した。彼女がルビュールで作ったパンである。
食パンは残しておいて、くるみパン、フィグカンパーニュ、ダッチブレッド、クロワッサン、バターロールから食す。姪はクロワッサン、バターロールを食べていた。
とても美味しかった。
食パン系は夜、明日いただこう。

レッスン室で準備をしていると姪が来る。いつなんどきやってくるか分からない。
ホワイトボードに絵を描く。来たときの習慣である。
私も付き合ってあげる。なかなかうまく描けないが、何でもよいから描いてあげると彼女はとても喜ぶ。まだ小学一年生だ。

突然手紙を書く、と言い出したので、母屋からハガキを取ってきて書かせてあげた。
このハガキを郵便局のポストに投函するために歩いて出かけた。

目線が低いせいか、道に近いいろいろなものが目にはいるらしい。
路傍に咲く、小さなかわいらしい花を見つけては摘む。少し歩いては摘む。五、六回摘んだだろうか。満足した姪は一輪手にして「これ、もりくんにあげる」
残りの花はどうするのと訊いたら、「これはお母さんにあげる」とにこっと笑ってこたえた。

私たちはハガキをポストに投函して、来た道を帰っていった。

家についてすぐ、横になって休んでいる母親を起こし、花をあげていた。
気の強いところが目立つ姪であるが、優しいところもあってよい子に育っていると思う。

夕方から夜にかけてレッスン。真面目な人は上達するのも早い。

9月17日 金 晴 一時 雨

パリを思い出す

荷物の片づけものをしていたら11年前に使っていた電話番号リストが出てきた。
パリで勉強していた時、同じクラスだった奴、同じ学校に通っていた奴ら、そしてその友だちなど。10ヶ月のフランス滞在中、9ヶ月付き合ったのもいる。
そいつとは今でもやりとりがあるがたまにである。奴だけが未だにずっとフランスで生活している。たまに帰国してもすぐフランスに戻る。
最近は仕事がなかなかとれなくて大変とも言っているがそれでももう10年以上生活しているわけだから、よくやっている。

もう一人年賀状をやりとりしている人はいるが、他の人とは没交渉である。みんなどうしているかな。

私のアパルトマンは広かったので、みんなの溜まり場になっていて、何度ここでパーティーをやったことだろう。
近くにMono Prix(スーパーマーケット)や商店街があったのもパーティーがしやすかった要因だろう。

それにしても最近無性にパリに行きたい。だから最新情報が欲しくてフランス本を買った。今まで持っていた本は通貨が「フラン」だし、少し情報が古くなってきているので、最新情報を入手して、さらに自分にハッパをかけたいと思う。

午後、父の仕事をサポートしてくれているKさんが来られる。
Kさんのコーヒーを淹れるついでに父の分も淹れようかと訊いたところ、「甘いのを淹れてくれ」とのたもうた。「美味いの」ではなく「甘いの」とは、俺には味を期待していないということか?? まあ、ええわ。淹れたるよ。

それにしても最近飲んでいるこのコーヒーは苦い。ここ一、二年で、買って自分で淹れて飲んだコーヒーの中では、あるれのコーヒーがダントツでうまい。もちろん店で飲む方がもっとうまいが岡山県新見市なので、ちょっとコーヒー飲みにあるれに行くかと言うわけにはならないのだ。あるれのような店が近くにあれば通ってしまうのだが。
最近買っていないので、あるれのコーヒーを飲んでみたい。最近はなぜか買おうとするとどなたかから豆を挽いた状態でいただくことが多く、あるれコーヒーを買うことができないでいた。

9月16日 木 晴
ランチはカレーライス。その後に自分で作ったヨーグルトを食べてみる。意外と上手い。昨日食器に取り分けたときは美味しくなさそうだったのだが。

お昼近くになって、レッスン室の時計が止まっていることに気が付いた。探しても単三電池がないため、車を走らせ買いに行く。Hがいたら外出ついでに買ってきてもらうのだが、今は何があっても自分で動かないといけない。

電池を買った帰りに、フランスの本を買いに行く。前回来たときに見つけた、今時の人、堀江貴文氏(ライブドア)の本である。けっこう面白い。この人若いけど、しっかりしている。今まで年下の人の本を買うことがあまりなかったが、今後こういう人が書いた本を読んでいくことになるのだろう。

Windows XPの更新をしたのだが、これがとんでもなかった。たしか45分くらいのダウンロード時間になっていたのだが、実際には3時間弱くらいかかった。2台のパソコンをほぼ同時にダウンロードしたせいかな。

自分のペースで歩けるからか、同じ距離歩いていてもHと二人で歩く時より少し早く戻ってこられるようだ。

夕方、久しぶりの体験レッスン。気に入っていただけたかどうか。

9月15日 水 晴
今日は快晴である。朝からずっと良い天気であった。朝から夜までずっと良い天気が続くのは珍しい。

午後レッスン。月に一回レッスンの生徒さんである。あまり練習ができていないと言われるわりにはよく弾けている。
夏がテーマの曲だったので次回からは秋のテーマの曲を演奏することになった。

ある人からメールが入る。
「私の座右の銘」の中で、他山の石を引用する際、このような人間にはなってはいけないと反面教師としていた者が、退職することになったらしい。実にひどい男だった。私だけでなくかなり多くの人間が仕事のモチベーションを下げられ、仕事の意味を問い直されたような人間である。ある人は「いじめの権化のような男」と言っている(言い得て妙)。部下や同僚をいじめ抜いた男が、晩年、年下の事業部長からいじめられていたらしい。
会社の中での上下関係とはすごいものだな。その男が意地悪していた年下の男がその人間の上司になったのだから。満を持して復讐され続けたのだろう。
周りの人は被害を被った人ばかりだから、見て見ぬふりか、ざまあ見ろと思っていたのかも知れない。
いつかは淘汰されると思っていたがまさか辞めることになるとは意外だった。会社にしがみついて生きている小心者の人間と思っていたからだ。

ひどい男だった。ほんとにこれほど酷い男を知らないくらい酷い男だった。昔はどうだったか知らないが、ここ10年は仕事をしていない。部下をいじめて、いじめに飽きたら元事業部長をだまくらかして、海外に旅行に出る(出張ではない。仕事はしていないから)男だった。この男は会社に損害をかけ続けていた男である。そんなこと百も承知で現事業部長はこの男を飼い殺しにしていたのに今になってなぜこの男を会社から抹殺することにしたのか。自分今後の昇進に係わる何かキーを握っているのか。どうでもよいことではあるが、被害者にとっては知りたいではないか。何かで溜飲を下げたいではないか。
このくだらない男が退職するのとは引き替えに、その男に辞表を書かせた男は今度グレードアップするらしい。何という腐った会社だ。腐りきっている。この会社の経営者は人を見る目がないのか。そのうちこのグレードアップする男は執行役員にでもなるのかもしれん。この会社も末期ガンだな。

母を連れて買い物に。母がドッグストアに行っている間に私はとなりの酒屋へ。ワインを二本買う。
車で一分の距離にある近くのショッピングストアへ行く。

久しぶりに親戚のおばさんに会う。母の従兄弟の奥さんに当たる人だ。私も小さい頃から知っているが最近は全然会わなかった。元気そうである。

買い物から帰ってきてすぐに散歩に出て行った。日が落ちかけていたが天気が良かったのでよい気分で歩けた。

Hから引き継いだヨーグルトを作ってみたがうまくいっているのかどうかよく分からない。Hが作るヨーグルトはうまいが、私が作った第一号は腐っているのではとおもったほどだ。一応食べたけどあまり美味しくなかった。種菌は一緒なんだけどなぁ。

母から勧められたブルガリアヨーグルトのドマッシュノはうまい。今まで食べたヨーグルトの中でもっともうまい部類に入る。わたしの作るヨーグルトはどうか。ここまでいかなくてもHの作るヨーグルトくらい美味しくなれば作りがいもあるのだが。

9月14日 火 雷雨 のち 晴 そののち曇り
朝、雷雨。雷と大雨の音で6時過ぎに起きる。しかしまた眠ってしまった。

昼過ぎに、受注した本の振込確認ができたのですぐに郵便局へ行き、発送する。
受注から発送まで、最初から最後までやったのは今回が初めてである。
受注以降の仕事に関しては、今まではHがほとんどやっていて、私はたまに発送の手伝いをするくらいであった。実際にやってみると実に大変である。注文がたくさん入ってくるとどうなるのだろうと心配するが今のところ、少しずつコンスタントに売れている感じである。

ダビングするためにカセットテープをたくさん買ったのに、ラジカセが壊れてしまった。ダビング用のプレイ専用デッキの方がうんともすんとも言わない。どういうこっちゃ。酷使したわけでも何でもないのに。。。
修理して高額な修理代取られるくらいなら新しいラジカセを買った方が良いくらい古いモデルだ。今までよくもった方だろう。
どうするかはHが戻ってきてから決めるか。

ラジカセのラの字も口にしていないのに、母が自分のラジカセをどこからか出してきていて「壊れていて動かない」と言う。親子だなぁ。
こちらのラジカセは弟が買って送ってくれたもので高価なものだ。でも修理するのかなぁ。

雨雲で辺りはすっかり暗くなっていて、空は今にも泣き出さんばかりだったが、散歩に出かけることにした。
ほとんど散歩している人はなかった。今朝の雷のこともあるし、多くの人が散歩を控えたのだろう。
足早に歩いて帰ってきたら降られずに済んだ。

一昨日母を同窓会に連れて行くときに一緒にお連れしたご婦人から梨をいただいていた。それを今晩食したが、美味しかった。梨は好きである。

9月13日 月 晴
10時から整体に行く。
それほどひどくはなっていないようなので少し安心したが、安心するとまた痛むのである。

あるテープをダビングするために電器屋に買いに行く。
最近カセットテープはほとんど使っていないから懐かしい感じがする。

手を揉みながら散歩する。
9月ではあるがとても暑い。川下に向かって歩いていくと、膝下くらいの深さの所で小学生がはしゃいでいた。
少し前を向いて歩いて、川へ目をやると子供たちがいない。
なんと、子供たちは仰向けになって川の流れに身を預けているではないか。
一人だけ流れないで止まっている子がいるがあとの三人は流されていく。笑いながら。なんて子供らだ。
その内の一人が「そろそろ帰るぞ」と言ってみんなを引き連れて川から上がってきた。
土手に置いておいた自転車で帰っていく。
8月には全く見なかったこの光景だが、9月にみることになるとは。今日はそのくらい暑かった。

夜風呂上がりに体重を量ったら85kgを割っていた。久しぶりである。お盆の時には88kgを越えていただろうから、順調に戻している。82kgまではもっていきたいが。どうだろうか。

9月12日 日 晴
午後自転車で本屋に行く。注文しておいた本と、ちょっと気になる本を買う。

一人で散歩する。

夕方母を同窓会へ連れて行く。

9月11日 土 晴
午後からレッスンの予定だったが、生徒さんの都合が悪くなり急遽午前中のレッスンになった。その予定変更の電話で起床した。
10時からレッスン。肩の具合が悪いとおっしゃっているが自宅で練習されている様子がうかがえる。取り組んでいる二曲目も様になってきた。

午後、レッスンルームで仕込みをしているときに姪が入ってきた。母の休日なので妹が連れてきたのだ。来て早々に妹は整体に行ったので、私が姪の相手をすることになる。いつもならここでHが姪の遊び相手なのである。
私はホワイトボードを使っているところだったので、そのままお絵かきになってしまった。

人の絵や魚の絵を描いてくれるのだ。子供の描く絵は面白い。発想が豊かと言えばいいのか、奇想天外と言うべきか。たまに子供と遊ぶと面白いな。

そのうち絵を描くことに飽きて、ギターを弾きたいと言う。
ギターを構えて弦をかきならすだけなのだが、かなり好きなようだ。毎回ねだられる。

今日はギターではなく、ウクレレにした。
先日「ハワイに行きたい」を絶叫していたので、覚えているかなぁと思いつつ弾いていると、あの曲を弾けと言う。
ハワイに行きたいである。

「おまえが歌えば弾いてやる」と言ったがどうもメロディーは覚えていないようであった。
それでも一回歌ってやると、もう有頂天。
私からウクレレを奪い取り、「ハワイに行きたい」を絶叫するのである。

左手はネックを持っているだけだからコードが押さえられているわけではない。ただ右手で弦をかきならすだけなのだが、雰囲気が出ているのである。

前回即興で作った20秒くらいの曲だが、とりあえずワンコーラス作ってみるかな。
この姪を仕込んで、二人でウクレレデュオをやるかなあ。どうだろう。

Hがいないので一人で散歩に行く。
折り返し地点から我が家を目指して川沿いを歩いていると左上空、これは東の空に浮かぶ雲が夕陽を浴びてとても綺麗だった。
気分の良くなる散歩コースなのだ。

浜北ではHがおばあちゃんのお葬式に出ている。
無事に終了したとのこと。ご冥福をお祈りする。

9月10日 金 雨
朝から雨が降っている。
Hは朝浜北へ向けて、立った。途中で義妹と合流するはずである。

夕方母と買い物に行く。私たち子供が成人してから母はあまり料理をすることを好まなくなったようだ。
全くしないわけではないが、あまり好きではないらしい。
私たち三兄弟は美味しい料理だと「美味しい」と口に出すが、父は母が作った料理の評価をしたことがないと思う。
まずいとも言わない代わりに美味しいとも言わない。だから母は父と二人だけの生活になったとき、この人のために料理を作るのが虚しくなったのだろう。
だからスーパーなどで総菜を買ってきてそれを食することが多かったようなのだ。

Hがいると彼女がまめに作る料理も母だと買い物で済ませる日々になるのではないかと思う。
せいぜいこの機会に私も自分で何かを作れないかと考える。

Hから連絡があった。お通夜から戻ってきたようだ。長旅だったから疲れていることだろう。

9月9日 木 晴
朝、義妹からH宛に電話がかかってきて今日が始まる。
Hの祖母が亡くなった。

Hは日曜日に浜北に帰省する予定だったのだが、急遽明日帰省することになった。
元々帰省する予定であったが祖母の容態が悪化することは考えていなかったため、Hにとってはとても忙しい一日になった。

Hの祖母は私が初めて会った時、既にかなりの高齢であったため、あまり元気そうではなかったが、それでもここ1、2年前くらいまでは浜北に行ったときにたまにお会いしていた。最近の闘病生活は辛いものがあったと想像するが、安らかに眠っていただきたいと思う。

今までHがメインで進めてきた本屋の仕事を三週間あまり私が切り盛りすることになる。
最近あまり緻密なことをやっていないため、うまくいくかどうか心配である。
何よりも気持ちが大事であることを考えて進めていきたい。

自宅から銀行まで行って、郵便局に行くコースを小学校までの通学路で行ってみた。ここを歩いて通ったのだが、今日は自転車で。
学校の斜め前にある銀行まで行くので「学舎への道」を走ったことになる。

変わっていないのである。30年前と何も。
タイムスリップしたような感覚だ。
こんな空間がここ大宮にあろうとは。
フッと気が遠くなるような感じがした。

ほんの5分くらいで銀行まで到着し、そこから郵便局までは帰宅時に使っていた道を走った。
ここもほとんど変わっていない。

郵便局で荷を発送した後はいつもの散歩コースを自転車で走った。
不思議な気持ちになった数十分であった。

9月8日 水 晴
腰の痛みが昨日より悪い。仕方がない。あまり動かないようにするしかなかろう。とは言え動かないとどうにもならないし。

一度にたくさん注文がくる訳ではないが、コンスタントにわいわい書房への注文が入ってきて楽しい。Hが楽しそうに仕事しているのを見ていると嬉しい。
これからさらに軌道に乗っていくと良いのであるが。地道にやっていきたいと思う。

9月7日 火 台風
起床後すぐの洗面時、腰を痛めた。
特に無理な姿勢をしていたわけではないが、油断していたのだろう。
感覚で分かるのだが、何日かは痛む腰痛だ。

朝から風が強くなっていた。
午後になると強さが増し、外出不可能になる。古い我が家はすきま風がどこからともなく入り込み、天井からほこりが落ちる有様。天井の隙間にある、昔年の埃が屋根と天井の間に入り込んだ風により外に追い出される形で畳の上に落ちてくるかっこうなのだ。
風が強かった。先日の風よりもはるかに強かった。何度か心配になる強さの風が吹いた。

夜にならんとするころに風は徐々に収まっていった。なんとか持ちこたえた。

9月6日 月 曇
6日になる直前、地震があった。震度3くらいだろう。
長く揺れていて少し怖かった。この家つぶれんともつやろか。

散歩に行く。気持ちがよい。

夕方と夜にレッスン。二人ともだんだん良くなってきている。二人とも来年にはライヴができるようにしたい。

9月5日 日 曇
午後レッスン。あまり早くは進んでいないが、着実にうまくなってきている。
今年は無理であっても来年はライヴがしてもらえるようにしていきたいと思う。

雨が降りそうな空模様だが、散歩していると気分が良い。

9月4日 土 曇
IIのデータ作りを進める。

わいわい書房で少し高めのものが売れた。しかしこれは買ったときはその売値の10倍くらいしたので注文された方は納得されると思う。

散歩に行く。ここ数日毎日行っている。気分は良い。

豊岡に妹と一緒に行っていた母が帰ってきたが、そこには妹だけでなく子供たちがいた。いつの間に一緒に乗っていったのだろう。滞在時間もそこそこに帰っていった。ゆっくりしていけば良いのに。

9月3日 金 晴
昨日ギターを弾く時間がすこし長かったからか、左手が痺れる。

昨日散歩の時に、「昼にはウナギが食べたいなぁ」と言ったのだが、Hは昼食に鰻丼を作ってくれた。父も喜んでいた。

IIのデータを作っていく。最初作り方がよく分からなかったので手間取る。またすぐに反映されないシステムでストレスが溜まりそうだ。

ヤマモリコウジの世界をなんとか形にする。
昨夜やっていたのだが、配置が難しく、最終的にHにデザインをやってもらった。
パソコンに長けているからこういう時に早い。

夕方母から電話があり、Hが母の職場まで料理を取りに行った。会社からオードブルを買わされたらしい。大皿料理である。
今晩はこの五人前のオードブルを四人で食す。ちょうど良いくらいの分量か。と思いきや、Hは別に料理を作っていた。おいしかった。

9月2日 木 晴
散歩に行く。気分がよくなる。

いろいろ考えながらハープギターを弾く。ハープギターの場合は曲を作るのも大変だ。普通のギターで作曲するときの五倍は時間がかかると普段から言っているが実際はもっとかかっている。

9月1日 水 晴
もう8月が終わった。アッという間だった。
8月はとても暑かったが、ここ数日朝晩が急に涼しくなってきた。一週間前まで窓を開けて眠っていたのにもうとても無理だ。
とても素敵な秋の期間は短く、アッという間に冬に向かっていくのだろう。それが丹後の気候。

8月31日 火 晴
激しい風のせいでなかなか寝付けなかったが、いつの間にか眠っていて、朝起きたら風はそよそよとしていた。

銀行で振り込みを確認して、郵便局からCDを発送した。

夕方の散歩は気持ちよかった。ほとんど雲のない青空だった。

夜、レッスン。ギターを弾くのと同じくらいの時間ギター談義をしている。

8月30日 月 台風
10時から整体へ行く。かなり躰が硬いようだ。私の躰はどうしてもすぐに硬くなってしまうようなのである。できるだけ揉みほぐすことを自分でやらないといけない。

朝から本を読む。

夕方散歩に行こうとするが台風が近づきつつあり、風が強いので途中から引き返した。

帰宅後、母屋の二階窓が台風にやられる危険がありそうだとの父の判断で、窓に補強をする。台風一過で取り外すものと思いきや、あと二ヶ月くらいは取り付けておくらしい。今年の台風状況を見ているとあと何回かは来そうである。

夜、風が強くてなかなか眠れなかった。近くに被害を受けた家もあるだろう。心配なのは田圃の稲である。刈り取り直前であるため、稲穂の先が重くなっており、この風では倒れるのではないかとの心配だ。

8月29日 日 晴
昼に寿司を食べに行く。生ビール飲みながら食べる寿司は格別だ。

今後どのような本を仕入れていくかを考える。

夜、M氏から電話がある。Acoustic Breath V の応募曲についてである。
M氏から「安田さん、関西のイントネーションになってますね」と言われた。丹後の人と話す時以外は標準語イントネーションで話しているつもりなのだが、つもりだけで、どうも関西弁のイントネーションになっているようだ。
浜松に住んでいるときにはずっと「関西弁が出ませんね」と言われていたのである。
丹後に住んでいると大阪や京都のテレビ局が作成した番組を見ることが普通なので、どうもこれに慣れてしまっているらしい。
気が付いていないのは自分だけのようだ。

8月28日 土 晴
今日初めて、T.K.さん宛にメールを打った。今まで何度かHが打っていた。

注文していた本がキャンセルとなったため、行きつけの本屋にないかと思い、行ってみた。残念ながらなかった。
気になるタイトルの本があったのでそれを購入。帰宅後さっと半分まで読み進めたが、気持ちが落ち込んできた。
将来の日本経済を書いた書なのだが、あまりに悲観的であり、一気に読めなかった。ただ作者は日本国民のことを考えて書いているだけに容赦がない。後半に読み進むと、今後どのような手を打てばよいのかが書いてあると思う。
分かりやすいとは言えないため何度か読み直す必要があるだろう。

8月27日 金 晴
本の整理をする。
音楽関係の本がよく売れているように思うので、もう読まなくなった音楽雑誌を集める。

8月26日 木 晴
朝から福知山に行く。順調だと1時間強で行ける。
仕入を済ませて昼食。久しぶりに天下一品へ行く。ここのこってりラーメンは好きなのである。
福知山のレストランは全く知らないので安全な店に行ってしまうが食後に見つけたカフェはなかなか良さそうだった。次回はここへ行ってみよう。

夕方散歩に行く。良い気分になれる。

8月25日 水 晴
午前中に内田ギターリストに新情報を入力する。
午後レッスン。うまい人である。要所要所を押さえればかなり良い演奏ができる。「まだ人前では…」とおっしゃるが数ヶ月先ではライヴができそうだ。

本のデータを入力する。

今日は久しぶりに散歩した。散歩は良い。とても気分が良くなる。
今日は空が素晴らしかった。元々雲が好きなのだが、今日の夕方の雲は芸術的な形と色をしていた。間もなく日が落ちるところだったので長くは見てられなかったが、良いものを見ながら歩けた。

8月24日 火 雨
台風の影響からか天気が不安定だ。大雨にはならないが降ったりやんだり。

15日にも会った叔母の家に行く。未だにたくさんの荷物が預けてある。
CDをとってきたかったのだが、本ばかりになってしまった。

叔母はまだ仕事から帰っておらず、叔父だけだった。周りがたんぼばかりなのでよく動物が出るらしい。
イノシシと鹿対策で苦労されているようだ。秋にはクマも出ると聞いて驚いた。
丹後に帰ってきて、イノシシも鹿も見ていない。クマが出没する話はたまに聞くが、クマには出くわしたくない。

8月23日 月 雨
22日から今日未明にかけて女子マラソンを見た。
野口みずきの走りには仰天した。25キロ過ぎからスパートをかけてきたからだ。こんなに早くに勝負を賭けてきて勝てるのだろうか。その内に追い越されるのではと感じながらずっとTVを見ていた。
ヌデレバにかなり接近されながらも最後まで逆転されることなくゴール。あまりにもかっこよすぎるではないか。こんなすごい走りができるとは。興奮にして眠れなかった。努力すれば結果が出てくることを証明してくれた訳だが、リタイアする人続出のレースでよくぞ勝ってくれました。
とてもよい気分であった。

午前3時頃まで起きていたせいで、朝起きられなかった。

午後レッスン。今日はかなり良い感じであったので、次回からレパートリーを増やしたい旨を伝える。

8月22日 日 雨 夜大雨
午後と夕方レッスン。
一人目は着実に進んでいる。慎重すぎるくらいなので、もうすこしラフに進めても良いかと思う。

夕方レッスンの生徒さんは今日のできが今までで一番良かったと思う。とても簡単なアレンジものを肉付けした課題にしていく予定だ。

8月21日 土 晴れ
弥栄町のあじわいの郷で「風人祭」が行われた。甥と姪を連れて行く。楽しみにしていた石窯パンは休みのため食べられなかった。ここの石窯パンは桁外れにうまい。姪のリクエストで、隣で焼く石窯ピザを食した。うまかった。ピザは石窯に限るな。

会場にセットされたエアートランポリンをやって帰宅する予定だったが、二人が会場内を走っているチューチュートレインに乗りたいと言うので乗せてあげた。二人を追いかけて終点まで行って発見。帰り道で昆虫館に入っていく兄妹。疲れを知らない子供たちである。私もHもばて気味。

ようやく満足した子供たちを連れて帰宅した。家に戻ると子供たちの母親である妹が来ていた。母さんと妹の二人で墓参りに行ってきたようだ。

子供たちだけ泊まっていく予定だったが妹も泊まっていった。仲の良い親子である。

8月20日 金
夜、探偵ナイトスクープを見た。

8月19日 木 晴れ 一時 雨 風強し
午前中は本データ入力。

午後は久しぶりにハープギターを弾いた。子供たちがいる間は弾けなかった。

Hの店好調。少ないながら、毎日のように注文が入る。

8月18日 水 晴れ 一時 雨
朝6時頃、弟家族は自宅に着いたらしい。無事で良かった。

午前から午後にかけて、本のデータ入力。

夕方レッスン。ついつい長くなる。

8月17日 火 晴れ
午後、初めてレッスンを受けられる方が来られる。何年も弾いていなかったと言われる割にはよく弾ける。目的がはっきりしているので上達が早いと思う。

レッスンの直前にかかってきた買取の電話を受け、本の買取に出かける。
いつもは電話をいただいた日には行かずに後日にするのだが、「ぜひ今日来ていただきたい」との強い要望だったので、出かけた。

あらかじめ電話で聞いていた通り、珍しい本は少なかった。
しかし奥さんの期待は大きかったのである。

今日にこだわられていたのは、今日なら旦那さんがいないから! まいった。そういうことか。
旦那さんが帰ってこない内に(?)、買取完了。

夜、弟家族が千葉に帰っていった。静かである。

8月16日 月 晴れ

仙腸関節の調整をしていただく。腰の調子は良い。

従姉妹の夫が整体師のため左手を見ていただく。大阪在住でめったに会えないのだが昨日久しぶりに会えたのだった。
鍼をやっていただいた。鍼は初めてである。
恐くて自分では見ていられないのだが、体に30mmくらい入っていたようだ。置針にしていただいた。約10分くらい。
終了後しばらくは手が重い感じであったが、そのうち軽くなってきた。
明日明後日はどうなるだろうか。

弟家族、妹家族が勢揃いで賑やかである。
夕食は焼き肉と寿司でお腹一杯。
痩せたいのにますます太っている。あぁ。

8月15日 日 晴れ

おばあちゃんの七回忌になるため、久しぶりにT伯父の家に親戚が集合する。22人。これだけの人が集まったのはほんとに久しぶりだ。
母の兄弟が全員揃うのも久しぶりとなるのだろう。

母は毎日の早出出勤のためかなり疲れているはずだが、余程楽しかったのか今日はずっと笑っていた。

T伯父の孫には久しぶりに会った。大きくなっていた。子供は成長するのが早い。

8月14日 土 晴れ

叔父がカニを持ってくる。子供たちに食べさせたかったようだ。子供たち用に身をほぐしてやる。三人とも美味しそうに食べていた。昼食後、弟家族が妹のところへ遊びに行く。家が静かになる。清流で魚釣りをしているはず。
私とHは叔父と一緒に秋からのビジネスについて話をする。

今日もHの店に注文が入ってくる。順調である。先月まであまり注文が入らなかったのがウソのようである。ホームページもそこそこの人に読まれているようで今後が楽しみである。

Y伯父が来る。今朝10時に京都市を出てきたようだ。同僚のお二人と一緒に来られた。
5月に二度テレビに出た時の楽器を見せて欲しいと言うことで27弦テルツハープギターを見ていただく。父も母も不在であったため、あまり話したいことが話せなかったようである。

夜17時30分過ぎに家を出て、おくおおの納涼祭に行く。ギター教室の生徒さんが出演するのである。娘さんとのステージとバンドでのステージの二ステージ。PAも良くて聴き応えのある演奏であった。

8月13日 金 晴れ

朝、妹たちが帰っていった。少し静かになる。

Hの店に注文が入ってくる。5、6、7月と質問・注文数ともに少なかったが、8月に入ってから順調である。何だかHの顔が生き生きとしていて楽しそうである。今日も本来なら休みたいところではあるが、注文・質問が入る。電話で在庫の問い合わせが入ったのは初めてかも。

8月12日 木 晴れ

妹が子供たちを連れてくる。甥姪が5人になり、大にぎわいである。
ふだんは子供がいない静かな生活を送っているので、子供たちに囲まれていると夜に疲れが出る。

8月11日 水 晴れ

ホームページのページを整理する。

各部屋を掃除する。

夕方、弟家族が帰省。とても賑やかになる。一番下の子は少ししゃべれるようになってきた。

深夜、女子サッカーの予選スウェーデン戦を見る。前半だけ見たのだが、前半の1点が決勝点になっていた。素晴らしい。

8月10日 火 晴れ

ホームページのページを整理する。

午後レッスン。なかなか練習する時間がとれないと言いつつも真面目に取り組んでいる人で、進歩が見られる。レッスンのしがいがあるのでついレッスン時間が長くなってしまう。

8月9日 月 晴れ
昨日かなり体力を消耗したが、今朝に影響は残らず。

ホームページの各ページを今のソフトで整理していく。細かいところまでは時間かけての修正になるが、整理後の各ページは読みやすくなっていると思う。

夜レッスン。曲を弾くだけではなく、最初にテクニック向上のための練習をしている。このためかだんだん演奏がよくなってきている。

8月8日 日 午後雷雨 のち 晴れ
高砂七夕祭りでのライヴ。これについては別ページに記載。
雷雨がすごかった。

8月7日 土 晴れ
暑さのせいでなかなか眠れず、体調も不安定である。体調もさることながら、手の具合が悪いので困ったものである。

明日弾くつもりの曲をおさらいする。一応持ち時間は25分となっているが、長くなったり短くなったりするらしい。時間調整係みたいなものか。友だちからの要望だったので断れなかったのだが、祭りで自分が演奏するのはこれだけとしたい。
野外で演奏するだけでも大変なのに誰も聴いていない会場で演奏するのは精神的に好ましいものではない。

多賀祐司のアルバムをトップページで紹介する。愛聴盤になるアルバムである。

我が家に初めてのものが妹の手でもたらされた。
携帯電話。
私やHのものではなく、母の携帯電話である。
どのくらい使いこなせるのか分からないが、前から欲しかったようなのでよいかと思う。

8月6日 金 晴れ 一時 小雨 雷も
今日は59回目の原爆の日。世界中の戦禍に苦しむ人々を思い、平和な日々がくることを祈る。

お寺から小坊さんが来られる。ほんの短い読経をされて次の檀家に行かれた。あまりに短時間であっけにとられた。
午前中は本のリスト作成。

最近Hの店に注文が入るようになってきた。彼女も真面目に取り組んでいるので、売れてくれると私も嬉しい。まだ要領がよく分かっていないところもあり、もっと効率よく進められるところは進めていきたい。

3日連続で散歩する。やっぱり散歩は良いな。気分がさわやかになる。
今日の雲はとても綺麗だった。こんな綺麗な雲を見ているとふっとメロディーが浮かんできたりする。

夜レッスン。1週間後にライヴが待ちかまえている生徒さんである。前回のレッスンではやや不安な面もあったが、今日の演奏を聴く限り良い感じだと思う。

8月6日 水 晴れ 一時 小雨
多賀さんからCDが届いた。
セカンドアルバムである。自分の聴きたい曲から聴いていった。いろいろ工夫がされていて聴き応えがある。
多くの人に知られて欲しいシンガーである。

とくに好きな曲は「神無月の子守唄」と「ふるべ ふるべ」「雨のち晴」 どれもライヴで聴いた曲である。

8月4日 水 晴れ 一時 小雨
午前中はアフィリエイトの整理。

本の整理。今日はフランス関係がメイン。そのうちアップできると思う。

浜名湖花博にて即興で弾いた曲を思い出して弾いている。なかなか良いフレーズではないかと思って弾いている。

久しぶりに散歩に行く。途中で雨がパラパラ降り出したので、途中で引き返した。
台風の影響らしい。夜になって本格的に降り出した。

8月3日 火 晴れ
午前中はアフィリエイトの整理。

リスト化する本を段ボールから出して整理、リスト化。
レッスン用の曲を整理する。

七夕祭りに付いての打ち合わせに行く。

8月2日 月 晴れ
午前10時、整体へ行く。腰の具合は良いのだが、左手の痺れがよくなっていない。
長い付き合いになりそうだ。もうそういう年齢になってしまったことを痛感している。

今日は2レッスン。どちらの方も熱心な生徒さんで、レッスンにも熱が入る。上達しているのが目に見えると報われる。レッスンそのものがとても楽しい。

8月1日 日 晴れ
昨日買い取りした本のリスト作成。要領が悪いのか、かなり時間がかかった。

夜、このホームページに初めてアフィリエイトを導入する。どのような展開になるのか全く見当が付かないが、取りあえずやってみようといったところだ。

リスト作成を続けていると、広島県庄原市の多賀祐司さんからメールが届いた。
ついにセカンドアルバムが完成したとのこと。とても楽しみにしていたのである。早速購入させて頂くことにする。

7月31日 土 曇り 一時 小雨
私たちが浜松に行っている間に古本買取依頼が来ていて、今朝そのお家にお伺いした。
電話では「息子の古い本を処分したい」とのご希望であったので、そのラインナップについてはあまり期待していなかった。ほとんど廃品回収のような買取になるであろうと考えていた。
途中でご婦人に道を訊いたが、あまり迷うことなく依頼主の家に着く。目的の場所は二階であった。
ざっと拝見させて頂いたところ、どの本も古いものであった。中には珍しい本も少しはあったがほとんどは大量に市場に出回っている本なので高値が付けられなかった。依頼主は二階をかつての広いスペースにしたかったようで、買取価格は二の次であったのだろう。気持ちよく交渉は成立した。
雨が降り始めた中、私たちは買取から戻った。

重要な本からリスト作成。なかなか骨が折れる作業である。

夜、レッスン。あまり練習ができていないと言われているが、普段練習をまめにされているようで、進歩が見られる人である。人前で演奏できる機会が早めに作られれば良いと思っている。

7月22日 木 晴れ
FaxでCDの注文が入る。嬉しい。早速準備して発送する。

散歩に行く。暑くて汗が出てくるが散歩は気持ちがよい。

ホームページ作成ソフトを使い出してから、今までにできなかったことがいろいろできて、面白い。

7月21日 水 晴れ
久しぶりに伯父が来る。スイカと瓜を持ってきてくださった。8月はおばあちゃんが亡くなって7回目の盆なので、久しぶりにみんなを集めたいとのこと。懐かしい顔に会えそうである。おばあちゃんが健在の頃は毎正月、盆と年に二回集合してきた安田家だが、おばあちゃんが亡くなって、義伯母がおばあちゃんの後を追うように亡くなってから、あまり集まらなくなってしまったのだった。

7月20日 火 晴れ
今日も思いっきり暑い。
朝からCDオーダーのページを手直しする。

7月19日 月 海の日 晴れ
昨日の内に一気にやれるところまでやってしまい、ホームページ作成ソフトを使って作っていくことにした。
時間がかかると思っていたが、Hがどんどん進めてくれたおかけででスムーズに移行できた。
やっていくと面白いものである。次々と変更していった。

夕方、レッスン。先日体験レッスンに来て下さった方が今日から来て頂くことになった。
初心者ですとおっしゃっていたが、そこそこ弾かれる方で、今後が楽しみである。
ピアノを少しだけ勉強されたことがあるとのことだったが、譜読みが早いし、ギターの上達も早いと思われる。真面目な方で今後が楽しみである。

7月18日 日 晴れ
今日はレッスンが無い日であったが、アンプを取りに来られた人と楽譜を取りに来られた人とお二人がみえた。

夜になって、Hの力を借り、HTMLのデータをホームページ作成ソフトでデータ修正して行った。
一度にできないが少しずつ変えていこうと思う。
それにしても長い間HTMLだけでよくやってきたものだ。

7月17日 土 晴れ
暑い日が続く。

手紙を書く。久しぶりで手書き三枚の手紙を書く。昔はよく書いていたんだけどなあ。

ミニヨンハープギターの弦を張り替える。


7月16日 金 晴れ
夏祭りに弾く曲を考える。

Hが見つけたTシャツを見に行く。良いデザインだが、サイズが少し小さかったので購入するのはやめた。
バナナテイストのソフトクリームを買って舐める。ソフトクリームは久しぶりだ。うまい。
その後食品の買い物に行く。

注文していた本をとりに本屋に行く。ドラムマガジンも買った。
本屋の隣にできたローソンへ行く。ついに、京丹後市にもローソンができた。一店舗目である。祝!
いろいろ便利になりそうである。


7月15日 木 晴れ
プレス工場からジャケットが届く。
できが良くないものがあるため、選別し、再梱包。
ジャケットもたくさんあると選別するのが大変である。
折り返しプレス工場に送った。

チラシの効果が出る。二日連続で問い合わせがあるのは初めてである。今日も大宮町の人から。
月2回コースで来られることになりそうである。


7月14日 水 晴れ
チラシの効果が出る。大宮町の人から体験レッスンの申込みがあり、すぐに来られた。
来月から月1回コースで来られることになった。
真面目な方で、うまくなりそうなので楽しみである。

夜の上常吉女性講座の準備を進める。

6時半を回ってから会場に向けて出発。10分かからないうちに到着。会場は開いていたので、2階まで機材や楽器を持ち込む。
そうこうしている内に安見さん到着。
話をしながらセッティングしていく。

8時からの予定だったが、なかなか人が集まらず、8時15分近くから始める。
来場者にギターを弾いてもらうなどして楽しんでいただいたのではないかと思う。
大きめの会場であったが、60Wのアンプだけでなんとかいけた。できればスピーカーは2台設置できるようになればよいのだが。
色々試してより良い方法を確立したいと思う。


7月13日 火 晴れ
新聞折込チラシを配布する。午前中に野田川、宮津に行く。宮津の販売店に山積みにされているチラシを見て驚く。
チラシが入る新聞には、沢山入るのである。
一旦帰宅し、昼食をとり、午後北へ。
弥栄、網野、峰山と行き、大宮に戻ってくる。
本来は明日全紙に折込するつもりでいたが、K新聞の明日の折り込みがあまりに多いため、大きい新聞舗の分は明後日の
朝刊に入れて頂くことにした。
一人でも多くの人に読んで頂きたいので、致し方ないかと思う。

明日の演奏は初めてのこともあり、楽しみである。
演奏だけではない、講義+演奏も面白いのではないかと思い始めてきた。
果たして、明日はどうなることであろうか。

再プレスの件で、連絡が入る。
あることがトラブルとなっているようだ。
事前に念入りにチェックしておけば良かったと後悔している。納期が遅くなるのは構わないのだが、工場に手間をかけてしまって
いるようなのだ。
それはそれとしてプレス工場の意外な面が分かり、面白くもあった。転んでもタダでは起きない安田守彦である。
逆境からでも何かを掴むのである。


7月12日 月 曇り
朝10時、整体に行く。久しぶりにHも一緒に行く。
今日は先生の説明を聞きながらHが覚えていくスタイルで、行われていった。
詳しく説明してくださるのだが、先生のように施術するには毎日やって3年はかかるだろうとのこと。整体も奥が深いのである。

14日の女性講座について進行を考える。
通常のライヴとは異なり、ギターの歴史や特徴を話したり、レッスンのようなこともしながら進めていこうかと思っている。
どうなるかはやってみないと分からないが、初めてのことなので不安半分、楽しみ半分と言ったところである。

レッスン。レッスンは1時間だったが、その後の話が長くなり計3時間。今までの最長である。


7月11日 日 曇り
朝8時台にHと選挙に行く。あまり投票率が高くないのではなかろうか。

朝、祭りのことでスタッフから呼び出される。
この祭りほんとに予算がないのである。
見積を依頼した人にご迷惑をおかけすることに。
こういう事は迷惑かけるので慎重に行いたいと思うが担当者に自覚がないので困っている。
こんないい加減な進行の仕方で何年もやってきたのかと思うとゾッとする。なんとレベルの低いことか。

レッスン。真面目な人である。あまり練習できなかったと言いながら、進歩が見られる。
こつこつと練習している姿が見えるのである。レッスンにも身が入る。


7月10日 土 雨 今日も雷
昨日に続き、今日もとても不安定な天気。ゴロゴロと。
雷が鳴り始めたらパソコンは止める。やりかけていても止める。

レッスン。ついに新しい楽器を購入されて持ってこられた。エレアコではあるが、なかなかなる方だと思う。
エレアコにもいろいろ種類があって、生音がとても小さい楽器もあるのである。

妹が子供を連れてきた。久しぶりに甥姪の顔を見る。

夕方レッスン。練習してくる人なので教えていても面白い。


7月9日 金 雷凄かった
怪しげな天気だった。
そのうちゴロゴロと空が唸りだした。そして一気に泣き出した。
窓を打ち付ける雨。キラッと光って轟音が鳴り響く。こんなにも激しい雷は久しぶりだ。
長かった。なかなか終わらない。いつまでも光って、豪雨も続いた。
なんとか被害を受ける前に収まってくれたが、長い時間に感じた。

祭りのことで問い合わせをする。
果たして私は演奏ができるかどうか。不思議な感じである。


7月8日 木 晴れ
今日も暑い。
午前中は契約書作成とCD発送準備。
そんなときに父が血相を変えてきた。「犬にかまれた!」
回覧板を持っていった時に手の指を噛まれたようだ。キンカンで簡単に済まそうとしていたので、病院に行って処置をしてもらう
ように言った。結局Hが病院に連れて行くことになった。
それにしてもよく指を怪我する親父である。

夕方、夏祭りの打ち合わせがあり、会場の自治会に行く。
ここで8月8日の打ち合わせが行われた訳だが、打ち合わせと言うよりは懇親会と言った雰囲気で、「ほな皆さん一ヶ月後には
頼みますよ。今日はまあ、飲んでよ」と言う感じ。
こういう会とは知らず食事をしてから行ったため、ほとんど口にできなかった。
酩酊に近い人が出てきた頃、私のギターを一度聴いてみたいと言う人が現れ、自宅に戻りギターを持って再度自治会へ。
ここで軽く3曲弾いた。
ほとんどが初めてハープギターを見る人で、質問攻めに合う。

こんなことで祭りがうまく行くのかなぁ。不安。


7月7日 水 晴れ
Hに銀行へ行って、振込をしてもらう。
午後には必要なものを宅配便で送り、再プレスの準備が完了した。納期はいつ頃になるだろうか。今月下旬くらいまでに
できあがると良いのだが。

今日は暑かった。部屋の温度が36度になっているのが確認できた。この夏最高気温だ。

部屋で楽器を弾いていたら、開いている窓の向こうから子供が様子を窺っている。隣の子供のようだ。私が弾いている楽器の
音は珍しいから、音が聞こえると見てみたくなるのだろう。一度引っ込んだが、また同じ子供がのぞいている。

今日はたくさんのメールを出した。
Acoustic Breath Vの参加申し込み締め切りが近いから、参加して頂けそうな人に片っ端からメールを送った。
Acoustic Breath Vには初参加の人が何人か手を挙げていてくれ、とても楽しみである。


7月6日 火 晴れ
本のリスト作成。
税務署に行く。行く前からイヤな気持ちで一杯なのだが、実際行くとたまらなくイヤな思いをする。
ここで働いている人達は、来る人を不快な気持ちで帰すことに腐心しているのではないかと訝るくらいである。

帰宅後、取引先から電話があったらしいので、電話する。注文の品は2週間後くらいになるらしい。

Hと共に、市役所に行く。ここでもイヤな思いをすることは多々あるが、4月に入所したばかりの人で親切であった。
この気持ちを忘れずに仕事を続けて欲しい。
役人も一番最初はふんぞり返って仕事したりしていなかったのだろうが、時間と共に横柄な人間になっていくのだろう。

買い物に付き合う。

ついにと言うか、やっとと言うべきか、「風の歌が聞こえる」の在庫がほとんどなくなってきた。再プレスをすることにした。
「再プレス」 何とシビレる音の響きであろうか。将来はこのことばを何度でも言ってみたい。
今日はこの響きに浸っていたい。


7月5日 月 晴れ
未明、火事を知らせるサイレンで起こされる。すぐ眠りに落ちるが消防車が我が家の前を走っていくサイレンの音で再度目が覚める。
こんな風の強い日にどこが火事なのだろうと思いながらも眠りに落ちた。
あまりに暑くて何度も目を覚ましながら朝目を覚ました。頭がとても重く、すぐには動けなかった。

本のリスト作成。

午後から捜し物をするが全く見つからなかった。明日は見つかるだろうか。

千葉の姪から電話がある。母(この子の祖母)と話がしたかったのだろうが、母は入浴中であった。
この姪や甥から、今でも「もりくん」と呼ばれている。


7月4日 日 曇り
暑くてなかなか眠れず何度も目を覚ました。

午前中にあきばさんと軽く練習。
生徒さんから絵てがみ教室を催促されたとのことで、風の谷に移動して、絵てがみ教室。私とHとH氏の三人は「体験教室」
墨で線書き。少し練習しただけで、すぐに本番になる。
モデルは「アジサイの葉」 味があるのである。葉をこれだけ眺めたことがあっただろうか。じっと眺めて描く。
とても楽しかった。

あきばさんの曲を三曲演奏する。あきばさんが弾き語りをするのにギターを重ねた。

すずめのおやどに戻って、昼食をいただく。山かけうどんと鯖の棒ずし。美味である。
お代わりしたいくらいの美味しさだ。

午後三時半。本日の演奏。
昨日のハプニングの後遺症はないものの、自分の思い描いていたステージにはならなかった。
要因はいろいろあるのだろうが、左手の不調が一番影響していると思う。
演奏後には左手がパンパンに腫れて、痺れていた。俺の躰はどうなっているのだろう。治るのだろうか。

今回で二回目のすずめのおやどライヴ。楽しく過ごさせて頂いた。次回はあきばさんとのデュオもやりたいものだ。


7月3日 土 曇り
今日明日のライヴ会場、すずめのおやどへ向かう。7月最初の土曜日なので海岸線の道が混むことを想定して早くに出発したが、
ほとんど混むことは無かった。そのため途中で何度か小休止をとる。

朽木村と大津市の境、すずめのおやどへ到着。あきばさん、かわすみさんに迎えられる。

少し休んだ後、裏にある川辺に下りる。とても綺麗な川なのである。ここでしばらくくつろぐ。

すずめのおやどに戻って、軽く指のおさらいをしていた。この時小さなハプニングが起きた。あまり大したことはないようにも
思えたが、後で影響が出た。
予定通り本番になって弾き始めたのはよいのだが、何度もフッと意識を失いかけるのである。全く情けない話ではあるが、
正直今日の出来に対して自信を失いそうになる。
倒れなくてよかった。

演奏会の後、あきばさんの友人のH氏とHと三人で温泉に行く。
露天風呂を新しく作ったとのことで、大人気の温泉であった。何とか順番待ちをすることなく、数種の湯船につかれた。
すずめのおやどに戻ると、「かわすみさんたちはホタルツアーに出たところ」とのこと。後を追う。H氏が昨夜もこのツアーに
参加されていたので道順は分かる。
無事にその場所に着いたのだが、ホタルを見るために皆灯りを点けていないのでかわすみさんたちがどこにいるのかが分からない。
声を出すわけにもいかないので我々三人で動くことにした。

ホタル。ほたる。蛍。螢。 なんと幻想的であろうか。これだけホタルが乱舞している様を見るのは生まれて初めてだ。
視界にはいるだけでも数百匹はいるだろうから、実際にはその数倍から数十倍はこの周辺にいるのではないかと思う。
極力話は少なめにして、この景色を見ていた。
川沿いの道を遡っていくと、道上までホタルが乱舞している場所があった。手を伸ばせば捕まえられそうなホタル。
想像力を掻き立てられるのであった。

すずめのおやどに戻る。かわすみさんたちはまだ戻っておられなかった。
夕食をいただくことにする。温泉に行ったために喉の渇きは最高点に達していた。
H氏から誘惑の声。「安田さん、一杯いきますか?」
エビスビール。ううーん、うまい。なんてうまいんだろう。
味の深い、鯖のみそ煮定食をいただきながらのビールは最高だった。これだけ美味しい鯖のみそ煮はあまり食べたことがない。
素材と味にこだわる、すずめのおやどの食事だけのことはある。うまい。
エビスビールは二本目に。
夜はふけていくのであった。


7月2日 金 曇り
レッスン。8月の祭りで野外ステージを予定されているので、その曲を集中的にレッスンしている。
間奏とエンディングでリードを取られるのだが、今までにリードギターをされたことがないので、なかなか要領がつかめない
のだが、少し形になりつつある。本番までに間に合えば良いが。


7月1日 木 曇り
ライヴの進行を考える。

本のリスト作成。


6月30日 水 曇り
7月にライヴ依頼があるが、その日の前日は浜松にいるため移動ができない。残念だが断る。
少しずつではあるがライヴ依頼が入り、嬉しい。

散歩は気持ちよい。それにしてもIさんによく出会う。つかまると帰れなくなるのでなるべく見つからないようにしたいのだが…
早くても数分は話し相手となってしまう。まあいいか。


6月29日 火 曇り
レッスンの予定だった。この人、二回目のすっぽかし。社会人としてよく今までやってこれたと思う。
前回、来られなくなった場合は、連絡するように強く言ったのだが。。。
やめてもらうしかないかとも考える。

リスト作成。


6月28日 月 曇り
二週間ぶりの整体。躰をほぐして頂いて気持ちがよい。

夕方レッスン。形になってきた曲もありご本人も楽しいと思う。

久しぶりに散歩に行けた。最近天気が悪くて全く行けなかったのだ。散歩は気持ちいいなあ。

チラシ原稿送付。


6月27日 日 曇り 時々 小雨
レッスン。2曲目としてアルペジオに取り組む。取り立てて難しくはないが、特長のあるアルペジオ。
初心者には難しいレベルである。

ストロークの曲をおさらいする。
最後に基本的なアルペジオパターンを弾いて頂く。最初にやったアルペジオが難しかったことが分かったみたいである。

チラシの校正をする。


6月26日 土 雨
レッスン。今日のレッスンを忘れておられたようで、電話をしたら飛んでこられた。
なかなかうまくいかない部分があり、説明するものの、なかなか修正がうまくいかない。


6月25日 金 曇り 時々 小雨
雑誌のリストを作る。


6月24日 木 曇り 時々 小雨
妹の誕生日である。Hがケーキ屋にラズベリーシフォンケーキを注文する。
午後になって、6月15日のコンサートの世話をして下さった方々に手紙を書き、それをポストに投函し、ケーキ屋へ。
妹の家の前まで行ったのだが車がない。すぐ近くの公衆電話から妹の携帯に電話する(我々は未だ携帯を持っていないのだ)。
網野町にいた。
峰山駅の近くが良いと言うことなのでそこまで移動して会い、ケーキ、花(ハイビスカス)、(浜北から送られてきた)トウモロコシを
渡す。とても喜んでいた。義弟、子供たちと食べてくれたら良い。

途中で、新しくできたカフェに寄る。京丹後市の一番の発展地にできたカフェは少し外れているせいか、客はいなかった。
我々が店に入ってから店主が店に出てくるまでに数分かかった。
アイスコーヒーを頼んだ。待たせたのを悪いと思ったのか、店主はマドレーヌを付けてくれた。
恐らくこの店で作られたアイスコーヒーではない。まずくはないのだが、特徴がない。
あるれの美味しいアイスコーヒーを思い出した。

帰ってきてから、プロフィールを手直しする。今使っているプロフィールは少なからずあると思うが、多少現在と合わなくなって
きている部分もあり、早い時期に現行のものを使い切り、新しいものに切り替えたい。

夜はカレー。夏にはカレーだな。うまい。


6月23日 水
初めての人のレッスン。ラグタイムやブルースがお好きらしいが、子供さんからリクエストされて、陽水の曲を。
体験レッスンの時に聴かせて頂いたが、うまい方である。
これからのレッスンが楽しみだ。

部屋を掃除する。

夕方体験レッスンの方が来られる。
要望がマッチしないために今日限りとなるだろう。


6月22日 火
妹が来る。昼にお好み焼きを作ってくれた。美味しくて3枚食べた。痩せられない。

午後と夜にレッスン。Oさんはかなり良い感じで弾けるようになってきた。今後が楽しみである。


6月21日 月
10時くらいに目を覚ます。

片づけものをする。


6月20日 日
昼前によーちゃんが来る。
Hと三人で浜北のカッペリーニに行く。
ランチメニューから選ぶ。アンティパストとフリードリンク付き。
アンティパストの種類が多く、少しずつ皿に取っているにも拘わらず、かなりの量となる。
メインのパスタが来る前にかなりお腹を満たしている状態だ。
スパゲティ、ピザを美味しくいただいてギブアップ。よーちゃんはフルーツも余裕で食していた。
また体重が増えたように感じる。よーちゃんは沢山食べても太らないみたい。羨ましい。

家に帰ったところ、足立夫妻がやってこられた。グッドタイミング。よーちゃんと挨拶をされて、家へ。
花博関連の話題で盛り上がる。
梅屋の麩餅、キッシュ、松月堂のマキシーをいただく。

父の日。夕方、義父母とHと四人で日本料理屋へ行く。
昼寝をしていたため、あまり食欲がない。

刺身上盛り合わせと生ビールにする。
お父さんもお母さんも嬉しそうであった。

料理屋から帰ると義妹からメールが入っていた。「台風はどう?」
急遽丹後に帰ることにした。夜8時に出発。Hと義母と三人で滋賀県を目指す。
八日市インターでおりて、義妹の家へ。着いたのは12時前。
義妹、その娘たちと少し話して、一路丹後を目指す。
琵琶湖大橋を渡り湖西を走り、小浜西から宮津まで高速を走り、午前3時に到着した。
眠くてすぐに眠る。


6月19日 土
今日は母の誕生日である。
電話したら喜んでいた。
午前中に妹が来て、夕方に義弟が子供たちを連れて来たようだ。
弟家族も電話したようだ。
普段は一緒に暮らしている人の誕生日を電話で祝うのも変な感じである。

今回お伺いしていないことを思い出し、メイプルハウスに行った。
中村敬子さんはいつもの優しい笑顔で我々を受け入れてくださった。
私はレアチーズケーキを選び、Hはベイクドチーズケーキを選んだ。
うまい。
派手さはないのだが、綺麗にまとまっているし、味の良さでメイプルハウスを選んでしまう。
また、喫茶コーナーの雰囲気がとても良く、長居してしまいがちになる。

今後の、音楽上のアイデアを練る。


6月18日 金
本屋へ行く。
山尾三省の本、ザミャーチンの本を見つけて上機嫌である。
やはり本屋はいいなあ。

ルビュール住吉店へ行く。
社長と渡辺君の二人がおられた。時間がピークをずれていたのでお客さんはほとんどいなかった。
九月に花博にてルビュールお米パンがお目見えすると思われる。
詳しいことが決まればホームページで紹介したい。
最近、社長は朝二時起きとのこと。疲れておられるのが分かる。
パンを7,8個買って帰る。
この店のパンは美味しいので、いつも多めに買ってしまう。


6月17日 木
足立夫妻と平田(なめだ)町のサモワァール(ロシア料理店)へ行く。
前回大好評であったランチバイキングの第二弾である。
前回と同じメンバー4人でテーブルを囲む。

サモワァールは今年30周年を迎えるレストランであるが、バイキングは今年初めての試みとお聞きしている。
サモワァールのバイキングは少し変わっている。

通常バイキング料理の場合は既に料理されたものを自分の皿に取っていく訳だが、サモワァールの場合は前菜、スープ、主菜、
デザートとそれぞれ頼んで、その都度料理していただく。
熱い物を熱い内に、冷たい物を冷たい内に食すため、普段の時と同じ高品質の料理が供されている。
では何がバイキングかと言うと、自分が食したい料理がいくらでも頼めるのである。
ランチの時間帯のみの制限はあるものの、これを至福の時と呼ばすしてなんと呼ぼうか。

ロシア料理が好きな人にはぜひともお勧めしたい。
リストにある料理はどれも美味しい。
私はボルシチとピロシキはとても好きなので必ずこれは食したい。今回ピロシキは、野菜ピロシキとカレーピロシキが特別に用意されている。
どちらも大変美味であった。
幸せである。

足立家と食事の後、別々の車でアトリエへ。
私たちの方が早くに着いた。
ここで待ち人を待つ。
来られた。
今日の内に東京まで戻られると言うので短時間ではあったが絵を見られて、話をされて、じゃんけんして和菓子を選んで、
楽しまれて東京に帰っていかれた。

この後、足立夫妻と二台の車で湖西に。
お目当てのギャラリーは休みであった。。。 しかし、運良く同じ建物で仕事されている方がおられて少しだけ見せていただいた。
良い感じのギャラリーである。

この後足立夫妻と別れ、三ヶ日経由で浜北へ帰る。浜名湖一周したぞー。

今日も「濃い」一日だった。


6月16日 水
アトリエテンセイへ行く。
足立さんのアトリエには色々な人がやってくる。
個展が終わって3日目なのだが、期間中に来ていた人もこれなかった人も、足立さんがアトリエにいると分かるとやってくる。

まずは吉田伸ちゃん。伸ちゃんは私たちが浜松に来るたびに会いに来てくれる人である。いつもカメラを持っておられて、
その場に居合わせた人と撮ってくださるので、とても貴重な写真となることが多い。
今まではフィルムを充填するカメラ一辺倒であったが、とうとう伸ちゃんも「デジタルカメラ」に持ち替えられていた。400万画素
と言うことでプリントアウトしてもかなり精度の高い紙焼きとなる。伸ちゃんはこれからずっとデジカメがメインとなるのだろうか。

今日アトリエであった「濃い」人は池間史規さん。数々の有名ミュージシャンとセッションされてきたベーシストである。
今回掛川の学校でライヴされるためにこちらに来られていたのだが、地元が磐田と言うことで、とてもリラックスしておられた。
プロミュージシャンとして25年活動されてきたのだが、3年前から今までとは異なった音楽活動をされているとのことでとても興味を持った。
今日はいろいろ話を聞かせていただいたのだが、次回はぜひライヴを見たいと思う。
一緒に行動されている鎗水さんはソロ活動のきっかけを作った人で、二人のやりとりはとても面白かった。

武田芳典・真澄夫妻も「濃かった」 あまり話す時間はあまりなかったのだが、初対面にしては十分な印象を受けた。
真澄さんはピアニストで、綺麗な音で楽器を鳴らす人である。また生演奏を聴かせていただきたい。

夕方になり、花博の谷地玲奈さんが来られる。
ハープギターの生演奏を聴きたかったと言われたが、楽器を持ってきていない。残念である。
この自転車ツアーの達人は日本制覇に飽きたらず、アラスカも自転車で走った人。すごい人がいるものだ。
とても明るい人で一緒に話しているととても楽しい。

はなやのラーメンが届き、五人でラーメンを食べ終えた頃、花博の伊藤万佐男さんが来られる。
28日の「にわ(28)の日」に演奏していただけませんかとの依頼を受ける。7月24日にフルレ館ムクノキ広場での演奏で浜松に来るので、
7月28日に演奏させていただくことにする。谷地さんの担当されている庭で弾こうと思っている。

演出家の山田夫妻が来られる。このお二方も私たちが浜松、アトリエに顔を出したら来ていただける。
伊藤さんとの話で、浜松キッドの花博公演が実現するかも。楽しみである。

アトリエにいると様々な出会いがあり、実に素晴らしい。皆が足立家の魅力に吸い寄せられて来るのだが、初めて会った人が旧知の友人の
ように思えるし、ここ数年のお付き合いでも懐かしさを感じるほどである。
一度きりの人生である。やはりこのような充実した時間が共有できるのは素晴らしいし、とても楽しい。


6月14日 月 晴れ
10時から整体に行く。腰の具合は良いと言われた。
問題は手の具合である。少し弾くと痺れがくるので、長く弾いていられない。悲しいことである。
右手の揉み方を教えて頂いた。

明日の準備をする。
部屋を少し片づけた。


6月13日 日 晴れ
夕方の散歩から帰ってきたら、義弟と甥がいた。妹と姪がいないのでどうしたのか訊くと、買い物に行っているらしい。
二日続けてくるのは珍しい。
子供たちは大いに騒いで帰っていった。
元気があってよろしい。


6月12日 土 曇り 一時 雨
雨。
今日もずっと除湿器を回している。

妹が子供たちを連れてくる。
姪は髪を短くしていて、いつものやんちゃな感じがしない。別人のようである。

レッスン。Ogさんはいろいろな楽器を持っていて、前にブズーキを持って来られたが、今日は西アフリカの楽器、コラを
持ってこられた。でかい。21弦の楽器だが、全くチューニングが分からない。
自分から遠い方に高音になっていくので、私には向いているとは思うが、この楽器は習得できないだろう。

夜もレッスン。


6月11日 金 雨
一日雨である。典型的な梅雨の空。
ずっと除湿器を回している。

昼間は本のリスト作り。

すずめのおやどでのライヴが決定する。昨年に引き続き、二日連続である。今年はホタルツアーがある。


6月10日 木 晴れ
弟の誕生日である。こちらから電話するつもりでいたが、かけられなかった。
母宛に弟がかけてきていたようだ。

昼間は本のリスト作り。

散歩に行く。とてもよい気分である。


6月9日 水 晴れ
幼なじみから、夏祭りにアイデアを出して欲しいと言われており、今晩Mの家でその話をすることになっていた。
最近は酒を飲まない生活を送っているので、久しぶりに飲んだ。
濁り酒が効いた。大して量は飲んでいないのだが。

結局、4時間以上いろいろな話をした結果、夏祭りで弾くことになった。
こうなる運命だったのかな。


6月8日 火 曇り 一時 雨
Hの○○回目の誕生日。そして○回目の結婚記念日である。
たまには喧嘩もするが、総じて仲良く過ごしている。お互いに内側に溜めないようにストレスを小出しにしていることが
良いらしい。修復不可能な喧嘩にまでもっていかないのが良いと思う。

午後からレッスン。一人は来なかった。知っていて来なかったのか、忘れていたのか???
遠くから来られるSさんは熱心である。回を重ねるごとにうまくなるので教えがいがある。次回はアルペジオに取り組む。

甥から電話がある。Hの誕生祝いの電話だ。姪に替わって、最後にこの子達の母親(私の妹)がHの誕生祝いの言葉を贈ってくれた。

夕食はみんなが好きな手巻き寿司となった。バリエーションが楽しめるため、飽きずにお腹一杯食べてしまう。痩せられない。
夕食前に父がいないなあと思っていたところ、隣の峰山町のDに行ってケーキを買ってきてくれていた。ここのケーキは美味しい。
お腹一杯だったが、食べてしまった、ケーキ。痩せられない。

コンサート依頼が入る。嬉しいです、素直に。
手の具合さえ万全ならすぐにでも入れたいところであるが、今年秋か、来年春に実現したい内容の楽しそうなライヴだ。


6月7日 月 雨 のち 晴れ
15日のライヴについて確認ファックスが入る。
ライヴの曲目について事前に知らせることはないのだが、プログラムを作るということで曲目を考えるのに数時間を要した。
あまり時間がないため、演奏時間を計算しながら、またチューニングにあまり時間を取られない曲順を考えていたのだった。

本のリストを作る。大して進まないのに時間だけはどんどん過ぎていく。その本を入手した時のことを思い出したりもし、
大変であるが楽しい作業でもある。


6月6日 日 晴れ 一時 小雨
朝、一息ついてから、本を置くスペースを空ける。
父親の仕事スペースを借りるのである。朝から始めて、終わるまでに6、7時間かかった。
非常に蒸し暑いこともあり、かなり疲れた。天井が低いこともあり、姿勢が悪かったのも疲れを助長したであろう。

かなり進めたところでHにカラーボックスを買ってきてもらい、先日の5個と合わせて、計11個となった。これでもまだ足りない。
あと、5、6個必要であろうが、取りあえずこれで進めていきたい。
本を置くスペースはかなり広く、綺麗になったと思う。

Hもかなり疲れている。リフレッシュするために三ツ矢サイダーを買ってきてもらい、二人で飲む。2リットルペットボトルが
ほとんど空になった。相当汗をかいていたのだろう。


6月5日 土 晴れ
本のデータ入力する。

先日配布のチラシを見られた方が体験レッスンに来られた。ラグタイムやブルースがお好きな方で、これからが楽しみである。

妹が娘を連れてきた。いつも元気の良い子である。

晴れの日の散歩は気持ちよい。


6月4日 金 晴れ
アットエスで、幸せを運ぶ器が1位になっている。
テレビの影響を感じる。年に何回か、こうやって首位になってくれるのは嬉しい。

今日もデータ入力。なかなか大変である。

Hが今日からEasy Seekを始めた。

晴れの日の散歩は気持ちよい。

ついに清原が2000本安打を達成する。よくここまで頑張ったなあ。素晴らしい。


6月3日 木 晴れ
データ打ち込む。

散歩を気持ちよくする。


6月2日 水 晴れ
今朝の新聞に折り込みチラシが入る。

チラシを見ての問い合わせが一件入る。体験レッスンに来ていただけそうだ。
少しずつでも、反応があると嬉しいものだ。

妹が5月26日発行の京都新聞を持ってきてくれた。ホームページにアップする。

京丹後わいわい書房用のリストを作っていく。なかなか骨の折れる仕事である。
休み休みやらないと肩が凝る。

久しぶりに散歩ができた。とても良い気分である。

夜、ライヴ依頼が入る。地元である。実現すれば良いと思う。


6月1日 火 晴れ
義弟が、母が依頼していた網戸を持ってきてくれた。網が不良になっていたのだが、新しいものに貼り替えてくれている。
とても綺麗に仕上がっており、気持ちよく使える。

今日は朝から本のデータ入力である。あまりこんをつめてやらない方が良いな。とても疲れる。肩が凝る。


5月31日 月 雨 時折 激しく降る
10時から整体に行く。先週は躰が柔らかいと言われたが、今日はがちがちに固まっていると言われた。
昨夜、チラシの準備をしたからである。B4の紙、2,000枚となるとかなり重い。これを新聞店の配布枚数に応じてチラシ枚数を
数えていくのである。気が付かないうちにかなり腰、肩、手に負担がかかっていると思う。
躰を触っただけですぐに分かるのだから、さすがに専門家は違う。
十分に揉みほぐして頂く。

帰宅後、野田川、岩滝、宮津の新聞販売店に行く。岩滝、宮津は今回が初めてである。
岩滝の朝日新聞店の近くにパン屋があるので久しぶりにここでパンを購入。いちじくの入ったパンが美味しかった。

午後から弥栄、網野、峰山、大宮の新聞販売店を回る。一日がかりとなった。
総走行距離は100kmを越えた。意外と広いぞ、丹後!

今回は初めて水曜日に入れて頂くことにした。


5月30日 日 曇り
朝、谷口な夜のデータをホームページにアップする。
カウンターの数がかなり増えている。谷口な夜のホームページからか、或いはテレビをご覧になられてから検索されたか。
一日で100を大幅に越える数字になったのは久しぶりではなかろうか。

昨日付けた、付け爪がしっかり貼り付いているので、恐くなり剥がした。
なかなか剥がれなかったが、お湯を使って粘り強くゆっくり剥がそうとしたら剥がせた。
指の違和感は無くなったが、爪を割ったときの痛みが残っている。

本を整理する。
Hが昨日組み立てたカラーボックスを配置し、本を並べる。ホームページ上の在庫(新着本)を増やしていきたい。

弟家族から電話がある。母宛だったが入浴中だったので私がメインに話をした。
昨日のテレビ放映のことは友達から、弟に連絡が行っていたらしい。
弟は千葉に住んでおり、見られないため、今回は連絡していなかった。

夜、Hに指摘されて思い出した。
明日、チラシを配布するので販売店ごとに分別しないといけない。開梱、数を数えること、梱包に1時間以上を要した。
なかなか要領を得ないものだ。


5月29日 土 曇り 一時 雨
荷物を持って運送会社へ行く。ぴったり梱包したので、いつもより安く済んだ。

昼食後峰山町に行く。高齢者いきいき創造センターと言う名称の公民館に似た施設がある。
ここで小学生にギターを弾くことになっていた。
小学生は7、8人とご父兄(と言ってもお母さんばかり)が5、6人いらした。
子供をメインとした演奏会は初めてで、約30分演奏した。
6弦ギターと27弦ハープギターで演奏。
お母さん方の反応は分かりやすいのだが、メインの子供達の反応ときたら、今ひとつピンと来なかったため、
最後まで自分ペースがつかめなかった。
仕方がないかもしれないが、何か工夫がいる。

今日弾いてみて分かったが、付け爪は付け爪であって、自分の爪とは全く違うことがはっきりと分かった。
自分の爪は先端の感覚があるが、付け爪では先端の感覚がないため、弦にしっかりヒットしているかどうかが分かりにくい。
音が出てみてやっと、望んでいる音なのかどうなのかが分かる具合だ。
自分の爪は大事にしないといけないことを強く感じた。特に人差し指の爪は重要だ。
ただ、状態は悪いなりに何とか形にはなっていたと思う。
さらに精進しないといけない。

16時と20時からレッスン。それぞれ1時間のレッスンなのだが、ついつい熱が入って長くなる。
特にSさんは夏のライヴの話で盛り上がるので、所要時間は毎回2時間くらいとなる。こちらも話を聞くのを楽しんでいるから
いいのだが、少し長いかな。

夜、谷口な夜を見る。面白かった。


5月28日 金 晴れ
京丹後わいわい書房ホームページ開設記念として、わいわい書房に丹後弁講座のページを移譲した。
今まで通り、可愛がって欲しいと思う。

昼に寿司を食べに出かけ、気分良く帰宅した。
ビデオテープを見ようと、テープを探していたとき、悲劇は起こった。
「パンッ」というはじけたような音があったと思った瞬間右手人差し指に違和感が。。。
なんと、人差し指の爪が元から割れていた!!!
くくっ。
・・・甘皮が割れた爪より前に出ている。あぁ。ショックである。
明日、子供達の前で演奏することになっていると言うのに。
また二週間後にライヴがあるというのに。。。
悔やんでも悔やみきれない結果になる。
年に何度かこういう不運があるのだが、大抵ライヴが近いときに起きる。普段はなるべく左手を使うようにしているが、
最近左手の具合が悪いことから右手でテープを持とうとした時だった。
情けない。取りあえず、明日の演奏にどう対処するかを考える。

Hにピンポン球を買ってきてもらう。6個入りしかなかったようで、早速1個を取り出して球を割り、良い形に整えて
瞬間接着剤で人差し指の爪に貼ってみる。うまく貼れない。
何とか時間をかけて貼れたものの、ギターを弾いてみようとして何かに爪が当たった瞬間につけ爪(ピンポン球)は
ふっとんでいた。あぁ、憂鬱である。

この姿を見ていたHが女性用のつけ爪を買ってきてくれた。
これを加工して付けてみたところ、違和感はあるものの、ピンポン球の様にあっけなく取れてしまうことはなく、
今のところ付いている。何とか明日の演奏には間に合ってくれると良いのだが。

爪が割れて憂鬱なとき、源の山下さんから電話が入る。
私のためにいろいろと交渉して頂いており、誠に嬉しいばかりである。
音源サンプルを作ってお送りすることにする。

大阪ほんわかテレビの画像を追加する。


5月27日 木 晴れ
本の整理をする。沢山あってなかなか整理も大変だ。
時間ばかりが過ぎていく。

散歩に行く。田畑の近く、あちこちで何かを燃やしているせいで煙が立っている。散歩の邪魔である。
今日は少し遅めの時間に出発したのだが、同級生が犬を散歩させているところにすれ違う。
初めて見る犬だが、ペキニーズとのこと。北京が元なのかな。


5月26日 水 晴れ
大阪府吹田市の天然酵母パンのお店、『楽童』の誕生20周年である。今日届くように昨日お花を贈っておいた。
今朝、松永節さんから電話があり、花が届いたとのこと。早くについて良かった。
これからも長く続けてもらえると嬉しい。近いうちに行きたい。

自然食品店Sへ行く。メイプルシロップを購入。会員カードはNo.100であった。

海を見に宮津に行く。
天橋立の松並木が綺麗に見える。
ミップルのSing Singで昼食。ラーメンを食べる。
日曜日に久美浜のKKTでラーメン食べたのだが、あまり納得感がなく、口直しにSing Singに来たのだった。
ここのラーメンはうまい。ほとんどスープを飲みきってしまう。

散歩に行く。とても良い気分だ。花が綺麗なので写真を撮る。

谷口な夜での放映予告が京都新聞に出ていたらしい。


5月25日 火 晴れ
先週から飲んでいる喉と鼻の薬がきつくて、朝なかなか起きられない。

今日はレッスン二コマ。
前回と比べると上達しているのを確認すると嬉しくなる。どんどん上手になってほしい。

谷口な夜での放映日が決定する。今月29日である。一ヶ月の間に二度テレビで放映されるのは初めてのことである。
友人・知人にハガキを書く。

散歩に行く。とても良い気分だ。


5月24日 月 晴れ
10時に整体に行く。左半身の筋肉が硬くなっているようである。
念入りに左を揉んで頂く。

帰宅したら次のレッスンのリクエストが入っていた。オリジナルキーが難しいので移調する。

今週末、子供達の前で演奏してもらえないかと依頼を受ける。30分くらいの短い演奏になるが楽しみである。

散歩に行く。晴れた日の散歩は気持ちよい。


5月23日 日 晴れ
姪に起こされる。妹が11時過ぎに迎えに来た。

昼過ぎに豊岡へ行く。せどりである。なかなか面白そうな本が手に入る。
楽しめそうだ。


5月22日 土 晴れ
妹が子供を連れてくる。

午後レッスン。子供さんを連れてこられた。甥姪と一緒に遊ばせてあげれば良かったかな。退屈していたのではなかろうか。
今までレッスンではやっていない曲を取り上げることになった。意外と難しい曲である。

夕食を何にするか考えていたHに手巻き寿司を提案する。姪も沢山食べた。ほんとに寿司が好きである。
義弟が来て起きたばかりの甥と寿司を食べた。あまると思っていたが全て食べきった。

姪が泊まっていくことになった。3回目になろうか。
この子はすっかりHになついており、一緒にいたいようだ。


5月21日 金 晴れ
久しぶりに散歩に行く。


5月20日 木 雨
昨日に続き雨。大した降りではないがずっと降り続いている。台風の影響であろう。

午前中、Hの希望で買い物に行く。前から取り替えたかったガスレンジを買う。持ち帰って取り替えた。
意外と軽かった。買い忘れたゴム管をHが買いに行き交換。
特に魚焼きグリルの具合が悪いと言っていたのでよくなるだろう。

午後、税務署主催の源泉徴収に関する説明会に出席する。分かりにくい説明で皆理解できただろうか。
帰りにTベーカリーに寄る。かなり売れていて種類が少なくなっていた。

帰宅後、リストの整理する。なかなか大変な作業であるが、大事なことなので集中して進める。


5月19日 水 雨
朝から雨。
本の整理をして過ごす。本の数が多いものだから、整理するのも大変である。
リストにしていき、コメントを書いている。

家が狭いのでうまく整理していきたいが難しい。
カラーボックスを買うなりなんなりして、うまく収納できるようにしたい。

ホームページのカウンターを変更する。何かの拍子に不安定になるカウンターなのでいつかは変更したいと考えていた。
Hが面白そうなカウンターを見つけたので、変更した。
数字は4年前にホームページを公開してからの累計数を入れた。

ホームページ上で下記の記事を見つけた。

「ドラムの神様」エルビン・ジョーンズ氏死去
 ジャズファンから「ドラムの神様」と呼ばれ、人気を博した米国のジャズドラム奏者エルビン・ジョーンズ氏が18日、
心臓病のためニュージャージー州の病院で死去した。76歳。AP通信が報じた。
 ミシガン州出身。1960年代にジョン・コルトレーンのカルテットに加わり、うねるような独特の奏法を編み出した。
 親日家でたびたび来日。妻のケイコ・ジョーンズさんは長崎県出身で、88年から半年間長崎市にも在住した。来日公演も数多く、
広島と長崎ではチャリティーコンサートを開き、収益を被爆者に贈るなどした。(共同)

実は5月4日付けのメールで、氏の死亡情報が来ていたのだが、正式に発表されたようでなくずっと調べていた。
とても印象的な人であった。
合掌。


5月18日 火 晴れ
喉の痛みが激しいため、病院の耳鼻咽喉科に行き、診て頂く。
先週から痛みが続いていたのだが、今週に入っても痛みが取れないため行く。
耳鼻咽喉科の前で待っていると看護婦さんから問診票のことで声をかけられた瞬間、前に座っていた男性が振り向いた。
「伯父さん!」
伯父であった。
驚いた。いつのまに来られていたのだろう。
席を伯父の隣に移し、最近の話をした。

診察で鼻腔に薬を入れてもらい、喉は吸入をしてもらう。
薬は鼻と喉の薬5種を飲むことになる。

午後、レッスン。正式に入会。嬉しいね。

宮津にマックシェイクを買いに行く。海を見ながらシェイクを吸う。良い気分。

帰宅すると母が帰ってきていた。伯母に誘われて食事に行っていたのだが、大層豪勢な食事であったようだ。
伯母さん、次回は私も誘って欲しい。
痩せる気はあるのか。


5月17日 月 雨 のち 晴れ
京丹後市長選の投票率は85.24%だった。
16日は終日雨だったが、「新市初」と「市長・市会議員ダブル選」のため、予想を上回る高い投票率となったようだ。
市長は新人が当選した。しがらみのない人なので今後の市政に非常に関心がある。頑張って欲しい。

10時から整体を受ける。最近では一番状態が良いとのこと。躰がかなりしなるようになってきた。

Hと話して、急ではあるがせどりに行くことにした。本格的なせどりは今日が初めてである。
まず舞鶴市に行き、天下一品でひさしぶりにこってりラーメンを食す。この後店へ。
この後、福知山市まで足を伸ばす。ここでもせどりする。
安全運転で帰り、午後5時40分くらいに到着。

夜は整理した。


5月16日 日 雨
今日はいよいよ京丹後市長、市会議員選挙投票日である。
Hと一緒に選挙に行く。11時台に行ったのだが、入場券をチェックするノートにはほとんどチェックが付けられていた。
まだ昼になっていないというのに。いかにこの選挙に対して関心が高いかを表している。
6町合併後、初の選挙なので、今回の結果がこの新市、京丹後市の将来を決定づけると言ってもよかろう。
今晩遅くには判明するようだが、気になるところである。

3時頃、妹が子供達を連れてくる。
最近は義弟(妹の夫)の仕事が遅いため、早い時間に夕食を食べていないということで6時台に夕食を開始した。
子供達の食欲は凄い。特に姪の食欲はなんだ。本当に小学1年か。
とても私などかなわない食べっぷりである。

すっかり夕食が終わった頃に父が帰宅した。持ち帰ったにぎり寿司を甥と姪は食べ始めた。ふぅー。私たちも子供の頃、
このくらい食べたのだろうか。

バレーボールはロシアに負けた。ここで全勝しなかったことが良かったとオリンピックで言えるように頑張って欲しい。


5月15日 土 晴れ
甥の少年野球チームが試合をすると言うので見に行く。
公式戦なので年少の甥は出場機会がなかった。ベンチで応援している姿が可愛いものだ。

本の整理をする。なかなか大変である。

夕方からレッスン。今日は2コマ。
充実感あるが、かなり疲れるものである。心地よい疲れであるが。


5月14日 金 曇り のち 晴れ
午後5時過ぎ、待ち人来る。3時頃に来られる予定だったが、前の仕事が押していたらしい。
たんごおおみや駅まで迎えに行く。ここから始まる。
午後7時過ぎに終了。2時間かかった。
たんごおおみや駅からだと1時間半待たないといけないため、宮津駅まで送っていく。
ここから福知山に抜ければ京都まで10時頃には帰れるだろう。無事に着いただろうか。

バレーボール日本チームが韓国に完勝する。アテネオリンピックに出場決定。感動した。


5月13日 木 雨
半日かけてCDの整理をする。
これから聴く予定のないCDを選別した。

選挙運動もいよいよ終盤。自信のある人はほとんどいないようで、口調が弱々しい人が増えてきた。


5月12日 水 晴れ
首の牽引をしてもらうため病院へ行く。診察と異なり、あまり待たずにリハビリテーションルームに行ける。
今日は37番であったが、2時間以内で病院から出られた。最近では最速か。

病院から我が家まで5台以上の選挙カーに遭遇する。今週いっぱいこんな感じであろう。

今日から別ジャンルのもののインプットを始める。

明日から天気が悪くなるらしい。ゆったりと散歩する。


5月11日 火 曇り
9日に告示された選挙戦が早くも激化しだした。
我が家の隣の隣に空き地があるのだが、その場を陣取って延々と演説をする候補が出てきた。
今日は30分くらいしていたのではなかろうか。
何の政策もなく、名前を連呼する候補より遙かに中身はあるのだが、長く演説されるといろいろなことが支障を来す。
一週間しかないので候補者も必死である。今回だけであろうが、落選する人が多いのでほとんどの候補が必死である。
定数30に対して、51人も立候補している。
組織票が読めて確実視できる人数に絞り込んだ共産党と公明党の計8人は当選するであろうから、実質的には22の枠に
対して43人がしのぎをけずっているとみてよかろう。ほぼ二倍の倍率だ。
告示前には我が家にも5人以上の候補が足を運んだし、今週になって後援事務所から次々とハガキが届いている。
この選挙、果たしてどのような結末を迎えるであろうか。
もちろん私はいつものように、投票に行く。

二日続けて散歩できなかったので、今日は早めに散歩に出かけた。今にも降り出しそうな空だったのである。
太陽が出ていないと少し肌寒く感じるが、歩き出すと汗がじわっと出てくる。
この汗をかくのが気持ちがよい。


5月10日 月 雨
10時に整体に行く。仙腸関節の調整後、胸、腕、手に重点をおいた揉みほぐしをして頂く。
頸椎ヘルニアと診断されたことをお伝えし、上半身を念入りにほぐして頂く。
整体施術を受けた後は躰がとても気持ちよい。

Hの親友から電話がある。昨日の放送を見ていてくれたようだ。
「ちょっと痩せましたか?」「えっ? あまり変わっていません」
一年くらいお会いしていないが、痩せたように見えたかな。痩せたいなあ。

雨が激しく散歩に行けなかった。

あるところからオファーが入る。


5月9日 日 雨
朝夕食後に薬を飲んでいるが、指、手の痛みは以前よりましている感じがする。
だんだん悪くなっているようで、気分が落ち込む。

読売テレビでは野球放送がなかったので、予定通り午後10:30〜11:30の放送となる。
始めの30分では放送されず、11時を回って間もなく、放送された。2分30秒に満たないくらいの時間である。
2分弱だと思っていたので、かなり長く放映されたことになる。

普段だと母は就寝している時間なのだが、私の放送が終わるまではと起きて見ていた。父も楽しみにしていたのである。

放送後、兵庫県に住んでいる従兄弟から電話が入る。久しく会っていないのだ。
番組を見てくれて、それで電話してきてくれたのだ。
嬉しかった。これからも頑張るように励まされ、また一緒に一杯やろうと言われた。
おばあちゃんが亡くなってから、従兄弟が一堂に会することが無く、いつか集まれる機会があればと思う。

今までテレビにはあまり出たくないと思ってきたが、このような副産物もあることが分かり、機会があれば受けていきたい
と思う。


5月8日 土 晴れ
どうやら風邪を引いたようだ。長い時間病院にいるものではないな。
喉が滅茶苦茶痛む。

リハビリのために病院へ行く。
ベッドに横になって、首の裏を15分暖める。その後首を牽引してもらう。15分。
受付をしてから病院を出るまで1時間半くらいであった。今までは最短だ。土曜日だから余計に時間がかかるかと思ったが、
診察ではなくリハビリだから早く終わったようだ。

妹が子供達を連れてくる。
我が家に来て早々、姪の一言「アのつくものが食べたい」 今年小学生になったばかりである。
「アのつくものは買わないと無い」と返事すると、一緒に買いに行こうと言う。もちろんお金は私の財布をあてにしているのだ。
甥も一緒に行くという。この子らが来るとお金がかかる。

甥姪を連れて散歩に出る。いつものコースである。川沿いを北に歩く。たんごおおみや駅の丁度東に来たとき、3メートル先の
草の中から鳥が飛び立った。雉であった。大きな雉で駅の方面に飛んでいったのだが、あまりの驚きでいつまでも心臓が
速く打っていた。

少し歩くと小さな黒い鳥を見つけた。甥が「カラスだ」と言う。成鳥のカラスしか見たことがないので、ほんとかなーと思いつつ
近づくと確かにカラスだった。とても小さく、このくらいなら可愛いなあと感じた。


5月7日 金 晴れ
MRIとレントゲンの結果を知らせてもらうために病院に行く。今日は47番。大人気の整形外科である。
3時間半待って、診察は3分くらい。
第4頸椎と第5の間、第5頸椎と第6の間がそれぞれヘルニアになっているとのこと。自分もMRIの結果を見せて頂いた。
確かにヘルニアになっている。
手術するほどではないとのことなので、二週間は薬で様子を見ようとのこと。その後で牽引をしましょうと言われ、
診察室の前で待つこと30分。看護婦さんからもしも良かったら明日からでも牽引できますが、と言われた。
昨日の薬だけで二週間後に改善しているとも思えないものだから、明日から牽引に行くことにする。
それにしても俺の躰はどうなっているのかな。
幼少から病気を繰り返し、大人になっても、毎年膨大な医療費を払い続けている。
医療費を払うために働いているような時期もあったし。
容易に治る病気じゃないだけにうまく付き合っていきたいが、取りあえず手の痺れが取れて欲しい。


5月6日 木 晴れ
掌の痺れが一日中続くので、一ヶ月ぶりに病院へ行く。
連休明けなので人が多いだろうと予想しながら行く。受付で整理券をもらったところ、57番であった。57番。
今日中に診察が終わるのだろうか。いつもは二人医師がいるのだが、今日は一人だけ。一日がかりを覚悟する。
本を一冊持って行っていた。まだ一行も読んでいない本である。ゆっくりと精読して昼前に読み切ってしまった。
順番は2/3も進んでいなかったため、本屋を探しに病院を出た。近くにあった。しかし、本らしい本を置いていない店で
本のタイトルで一冊を選んで買い病院に戻る。院内の食堂で昼食を取る。オムライス。美味しかった。病院内の食堂は
美味しくないところが多いが、なかなか良いと思う。
やっと診察してもらったときには2時を過ぎていた。受付をしてから4時間半が過ぎている。やはり予想通り一日かかった。
担当医は私の現状に不満であったらしく、MRIとレントゲンを撮ることを命じ、どちらも撮ることになった。
MRIは30分を要した。終わったら診察室に戻る予定でいたが、担当医が入院患者診察を開始したため、今日結果は分からずじまい。
明日また来ることになった。MRIとレントゲンが大きく響き、本日の診察料7,460円なり。高い。

夕方いつものコースを散歩する。散歩は良いな。気持ちが晴れる。


5月5日 水 こどもの日 晴れ
朝からレッスン。気合いが入っていて、気が付いたら2時間やってた。熱心な人なのでレッスンにも力が入る。

弟が無事に帰宅した。朝5時頃には着いたらしい。意外と早い。無事で良かった。

午後、9日のテレビ放映に関する案内ハガキを作成して送付。意外と時間がかかり散歩に行けなかった。


5月4日 火 国民の休日 雨
両親、弟家族、妹家族、Hと私の総勢13人で宮津のミップルへ行く。ここで買い物をする。
子供達はすぐにおもちゃ売り場に行きたがり、それをかわすのが大変である。
弟が父のために衣類を買った。母は気に入った服がなかったため、今日は服は買わなかった。
子供達はアイスクリームを各自の好きな組み合わせで作ってもらって上機嫌。単純ではある。

大宮に戻り中華料理店に行く。お座敷があり、美味しい店なので割と使う。お腹一杯食べてしまった。痩せられない。

弟家族は夜8時、我が家を出発して千葉に帰っていった。


5月3日 月 憲法記念日 晴れ
ホームページ開設4周年。マイペースでやっているのが良いかな。自分のペースで更新できていると思う。

弟の子供達3人と妹の子供達2人の、5人の子供がいるとなんとも騒がしい。一日中走り回っているので相手をするのが大変である。
弟の次女が一番小さいのだが、会うたびに成長が感じられる。一番大きく変わっていく。このまま素直なよい子に育って欲しい。

久しぶりに叔父が我が家にやってきた。ほんとに久しぶりに会う。
子供達が全員集合していたので、叔父は上機嫌であった。最近はなかなか揃うことがなくなってしまっているので、何かの
機会で会えると良いと思う。このような場面でも世代が変わってしまったのを感じる。


5月2日 日 晴れ
妹の息子が少年野球の試合に出場すると言うことだったので、父とH、そして昨夜我が家に泊まっていた妹の娘を連れて
野球の試合を見に行く。
一試合目は上級生メインのチーム編成同士が試合を行い、10対10の引き分けで終わった。
二試合目に甥が出場した。レフトで打順は八番。この低学年編成チームは相手方が圧倒的に優勢で、大差で負けた。
相手チームはほとんど三振振り逃げで出塁し、二盗三盗で三塁まで行き、得点を重ねていった。
甥のチームは全く打てず、三回とも無得点でコールドゲームで負けた。甥がプレイするところを初めて見たが、
生き生きとしてやっており、とても楽しかった。
ヒットにこそならなかったが、三振ではなく打ってアウトになったのは溜飲が下がった。

夜、義妹がお好み焼きを作ってくれた。とても美味しかった。


5月1日 土 晴れ
弟家族が早朝に到着。

甥姪4人連れて散歩に出る。いつもの倍くらい時間がかかった。
大変だったが楽しかった。
夜、食事は鉄板焼きとなる。とても美味しかった。


4月30日 金 晴れ のち 曇り
今夜のレッスンの準備をする。

ライヴ依頼が入るが、手の具合が悪いため断る。とても残念である。
曇り空となり、早めに散歩に出る。

夜、レッスン。二人同時に進める。そこそこ弾ける人なのでかえって難しい面がある。満足してもらえるようにしたい。

今晩は姪が泊まっていく。騒々しい。


4月29日 木 みどりの日 晴れ
姪を迎えに行って、峰山の鬼子母神祭に行く。
皆にふるまわれたぜんざいをいただき、姪が望んだ輪投げ、さいころ投げなどをする。

姪を連れて寿司を食べに行く。この子の兄と同じである。ウニと海老が好きなのだ。いつもよりたくさん食べた。

姪を連れて三人で散歩に行く。いつものコースを歩いた。まだ5歳ながらよく歩く子である。
家に帰るとこの子の母と兄が来ていた。

夜、レッスン。難しい曲に取り組んでいるのでなかなか完成まで行かないが少しずつ進んでいる感じがしていて良い。

左手の具合は悪い。ずっと痺れたままだ。


4月28日 水 晴れ
手紙書く。
郵便局へ行き、手紙を投函し、郵便振替の口座を作ってもらう。
30分弱くらいであったろうか。実際に使えるのは数日待たないといけないが、口座番号はその場で発行してもらえた。
少し前まではとても時間がかかっていたのに、郵便局も変わりつつあることを感じる。

昨日寒かったので散歩をしていなかった。今日は昨日ほど寒くないのでいつものようにHと散歩した。途中でパトカーに遭遇。
散歩中にパトカーを見かけるのは良い気分ではないが、パトロール中なのであろう。仕方ないか。
ほとんど同じ時間に散歩に出るので、三人くらいは同じ人とすれちがう。

今日はいつも以上に左手の具合が悪い。一日中痺れている。


4月27日 火 曇り
今日来られるかと思っていた人が来られず、少し気落ちしていたところ、24日の留守中に電話をしてこられていた人が
来られて体験レッスンを受けて行かれた。
前々からかなり興味を持っていたが、近くにレッスンを受けられるところがなかったので嬉しいと言っておられた。
来月から来ていただけそうである。嬉しい。


4月26日 月 曇り のち 雨
10時に整体に行く。仙腸関節の調整後、胸、腕、手に重点をおいた揉みほぐしをして頂く。
前回より躰は柔らかくなっているとのこと。
ただ、手の具合は一向に良くなっていなく、とても不安である。
ギターがほとんど弾けない状態が続く。

6月のライヴでどの曲を弾くかを考える。今までにない客構成なので、かなり選曲を変えないと、と思っている。

最近ほとんど肉を食べない食生活をしているが、夕食は久しぶりに焼き肉であったので食べることにした。
たまに食べるとうまいと思うが、頻繁に食べていると躰を悪くしそうである。
メインは魚がよい。


4月25日 日 晴れ
朝は昨日買ったカンパーニュとナチュラルチーズで朝食とする。
チーズがとても美味である。

昼には宮津のミップルに行き、Shing, Shingでラーメンを食べる。家から近いところでは美味しい方だと思う。

ゆっくりと散歩する。

夜、レッスン。だんだん良くなっているのをみると嬉しいものである。近いうちに形になっていくと思う。


4月24日 土 晴れ
母が休みの日。
姪が丹後ジャージー牧場、ミルク工房「そら」に行きたいと言っていると聞いたので、妹に電話して確認した。
Hと母と三人で、妹の家に行き、妹と姪を連れて五人で「そら」へ行く。
絞りたてミルクで作るソフトクリームとアイスクリーム目当てである。
この牧場では牛舎も見られるので別の楽しみもある。この日はたまたま生後二週間の子豚が二匹いて、とても可愛かった。

[アイスクリームを食べる姪。Hがトリミングした]      [ミルク工房「そら」の前で。写真では見られないが右側が牛舎]
天気が良かったので、野外で田を見ながらアイスクリームを食べた。美味しかった。
ナチュラルチーズのストリングとヨーグルトを買って、豊岡に行く。

豊岡駅前のアイティに行き、ここで買い物をする。
姪は太鼓のゲームをしてリズム感の良さを披露していた。この子にはパーカッションをさせるかな。

この後は真っ直ぐ妹の家に行き、二人と別れて我が家へ戻る。

私とHはいつものように散歩に出た。

夜、レッスン。1時間なのだが、ついつい長くなり2時間近くやってしまう。


4月23日 金 曇り 一時 雨
浜北の母から甘夏が送られてきた。

叔母が作った牡丹餅を義理の叔母が持ってきてくれた。持ってきてくれた叔母に甘夏を二個お裾分け。

足立家にCDを送る。

将来配布するためのチラシの内容を考える。
チラシの効果はすぐには出てこないが、少しでも反応があるなら、それで良しとしたい。

いつものコースを散歩する。今日は寒かったので、いつもより早く歩いた。ゆっくり歩くときと早足で歩くときでは
5分くらいの差が出る。

夕食には寿司が食べたいと言ったら、Hが寿司を作ってくれた。美味しかった。


4月22日 木 晴れ
荷物を出して、宮津に。20分くらい南に走ると海が見られる。とても良い環境である。
ミップルで少し買い物をする。沖縄物産展をやっていたので、沖縄風ドーナッツとも言われる「サーターアンダーギー」を買う。
「サーター」は砂糖、「アンダ」油は、「アギー」は揚げという意味の琉球言葉である。
抹茶と黒糖味を食したが、とても美味しかった。また食べてみたいと思う。

久しぶりに散歩に出る。途中でたまに挨拶するおばあさんにいつものように挨拶したところ、つかまってしまう。
娘さんが長岡京市に嫁いでおり、Iさんは一人暮らしをしているとのことだが、家の前に綺麗な花々を咲かせている。
ほとんど日が落ちていたので長話は堪えたが、たまには散歩中に話をするのも良いかと思う。


4月21日 水 晴れ
朝9時半過ぎに、大阪ほんわかテレビ(読売テレビ)制作スタッフと撮影クルーが到着。
制作スタッフMさん、カメラマンTさん、撮影補助Mさん、小僧さんの4人。
まずはセッティング。会社勤めをしていた時のカタログ撮影を思い出した。実際に取り始めるまでが大変なのだ。
床に布を貼ってギターを2本撮影する。この後、先日のコンサート風景を写した写真を撮影。会社員時代のスーツを着た
写真を撮影。この後、6弦ギターを弾く姿を撮影。
そうこうしている内に、別途タンゴエクスプローラーで我が家に来られることになっていた読売テレビアナウンサーの
森武史さんが到着。
早速、森さんのインタビューが始まる。さすがにアナウンサーだけあって、話運びがうまい。感心させられる。
18弦ミニヨンハープギターを弾いて、その後27弦テルツハープギターを弾く。
全ての行程が終了したのは1時過ぎで、約3時間かけて撮影終了。

機材を片づける途中で、スタッフのみんなで記念撮影をする。今回撮った写真は放映後にホームページに掲載しようと思う。
放映予定日は5月9日である。

一行は奈良に向かい、そこで撮影した後、岡山まで行きそこで泊まるらしい。何とハードスケジュールなことか。
躰をこわさないようにしてほしい。


4月20日 火 晴れ
初めてSさんのレッスン。全くの初心者だが、やる気は人一倍。こういう人が来てくれるとやりがいがある。
レッスンしているといろいろ自分にも参考になることがあり、貴重な時間だと思う。


4月19日 月 晴れ
10時に整体に行く。仙腸関節の調整後、胸、腕、手に重点をおいた揉みほぐしをして頂く。
とても気持ちが良かった。
とにかく躰の揉みほぐしには時間をかけることになるだろう。

帰宅後間もなくOさんが来られる。来られる度に良くなっていくのを見るのは嬉しいものだ。

レッスン終了後チラシvol.4配布に野田川町へ行き、その後峰山町、大宮町と配布する。
峰山町のS新聞舗は留守であったため、一旦帰宅後、Hが納品に行ってくれた。


4月5日 月 晴れ
10時に整体に行く。仙腸関節の調整以外は腕、手に重点をおいた揉みほぐしをして頂く。
とても気持ちが良かった。
筋肉が硬くなりやすい体質らしく、躰の揉みほぐしには時間をかけないといけない。
浜松から帰ってきたら、集中的に治してもらうことになるだろう。

夜、入会される方と体験レッスンの方が来られる。
少しずつだが来られる方が増えていき、とても嬉しい。


4月4日 日 晴れ
手の具合は良くないが、ギターを弾いた。
ライヴを終えたら集中的に治療したい。

選抜高校野球は愛媛の済美が初出場Vとなった。
球児達の素質の良さもあるだろうが、上甲監督の指導力が最大の理由だろう。
見習うことが多い人だと感じた。


4月3日 土 雨
Hと網野に行く。
どこで食事しようか迷っていたが、以前から行きたかったTにした。
ここのバラ寿司は非常に有名なのである。バラ寿司は丹後の名物と言えるがこの店では網野名物となっている。
Hは竜田定食を頼み、私はバラ寿司定食を頼む。
非常に美味しかった。母が作るバラ寿司は別物として、それ以外では最もうまい味付けと言って良いだろう。
バラ寿司以外にも美味しそうなメニューがあり、価格も高すぎることなく、今後も来たい店である。


4月2日 金 晴れ
左手の具合が悪いため、丹後中央病院に行く。
昨夜調べて、「手根管(しゅこんかん)症候群」ではないかと思って行ったところ、触診、簡単な指間力の検査、腕を上げて
どのくらいの時間で痛んでくるか。そして問診。この後胸のレントゲン、左腕肘のレントゲンを二枚撮ってもらう。
そして出た病名は「胸郭出口(きょうかくでぐち)症候群」であった。私の勘は当たらずとも遠からずと言ったところであろうか。
今回調べて初めて耳にする病名であった。
一ヶ月も二ヶ月も激しい痛みがある人には手術をするらしい。担当医の話だと一年に一人くらいの割合で手術をしている
とのこと。鎖骨と第一肋骨の間の腕神経叢、静脈が圧迫されて起こる病気なので、手術では第一肋骨を抜くらしい。
それはイヤなので、できるだけ手術をしないで治したいと言おうとしたところ、安田さんの症状は軽い方なので、薬で
治していきましょう、と言われホッとする。
ぼちぼちライヴを入れていきたいなあと思っていたが、長く演奏していきたいので、今は無理をしないこととし、今年は
ライヴを無理に入れないようにしていこうと思う。
取りあえず4月のライヴの後は、6月まではライヴは入れないようにする。
弾かないとギター奏者とは言えないが、無理して再起できなかったギタリストも星の数ほどいることを考えると、無理はしない
方が良い。
大人気の整形外科に5時間くらいいて家に帰ると昨日来られた方が再度来たいと言われたらしい。嬉しいではないか。

セリーグの公式戦がスタート。イヤなムードであったが、ビッグイニングを阪神が作って巨人に快勝。素晴らしい。


4月1日 木 晴れ
今日から我が町は、「京丹後市大宮町」となる。人口6万6千人で、京都府第九番目の規模の市となる。面積規模は京都市に
次いで、第二番目。我が京丹後市を盛り上げて行きたいなあ。

風邪の具合は良くなりつつある。

左手はなかなか好転しない。

昨日電話した方が大阪から来られた。行動力のある方だ。打ち合わせをして、帰りの汽車の時刻まで時間があったので、天橋立
までお連れする。松並木を見て頂くだけの短時間コースであったが、天橋立の一部を見て頂いた。

夜、二人のお客さんが来られる。楽しい話であった。


3月31日 水 晴れ
昨日より少し状態は良い。が、本調子とはほど遠い。

左手の具合がかなり悪い。動きがとても鈍くなっており、腱鞘炎ではなく、別の病気ではないかと思うくらいである。

4月から来て頂く人の初日が20日となる。少しずつでも増えてくれると有り難い。

花博から電話がある。4月の演奏のことかと思いきや、全然別のことであった。
この問い合わせの関係者に電話したところ、急遽大阪から明日来られることになった。メディア系の人は行動が早い。
明日は取りあえず打ち合わせだけらしい。


3月30日 火 雨
夜中に何度も起き、パジャマを着替える。
今日、明日で妹達と旅行することにしていたが、とても行ける状態でなく、諦める。Hは看病のため残ってくれ、母と妹家族だけで
旅行に行ってもらった。残念である。行きたかった。

9時頃、いつも見て頂く開業医にいく。診察後、薬をいただき、飲む。熱が下がれば良いのだが。

ほとんど寝ていた。一日メールも見られず。


3月29日 月 晴れ
左手の具合が思わしくなく、推拿に行く。
約1時間半もんでもらう。

帰宅して数時間してから体調が悪くなり、横になる。どうやら風邪を引いたようだ。
1月2月となんともなく過ごしてきたのに、3月もいよいよ終わる頃になって風邪を引くとは。俺らしいかな。

ひどい寒気がしてとにかく布団を重ねて眠る。


3月28日 日 晴れ
今月いっぱいで操業停止することになった関西電力のエネルギー研究所(エネ研)に行く。
ここには水族館がある(と聞いている)。水族館好きの私は以前から行きたいと思っていたのだが、最初が最後になろうとは。
新聞で操業停止が発表されたためだろう。人で一杯であった。
規模は小さいものであるが、今まで無料開放していたことに驚いた。水族館以外に公園もあり、家族連れで半日楽しめる
施設であろう。とても惜しい気はするが仕方ないであろう。

宮津ミップルの中にあるShing Shingに行く。ここでは2回目になるが今日の方が美味しかった。癖になる味である。
ここには何度でも来られそうだ。

今日は天気が良いし、父が機を織っていないので静かである。庭から山を見ながらベンチに腰掛け、読書をした。幸せである。

左手の具合は良くない。悪いと言った方が良いか。痺れが大きくなってきた。

夜、ヤンキース松井のホームランが見られた。松井もほんとに大きな人間になったな。


3月27日 土 晴れ
妹が子供を連れてくる。妹は母を連れて、Hは甥姪を連れてそれぞれ買い物に出かけた。

水曜日に電話で予約された方が来られる。
月に1回のクラスにされることになると思われる。

姪が保育園を卒園したので記念に、姪と一緒にHがケーキをホールで買ってきた。
母と妹の買い物が何時になるか分からないので、待たずに、私、H、甥姪の4人でケーキを切って食べる。
30分ほど経ってから帰ってきた母と妹はケーキに驚きながら、嬉しそうに食べていた。


3月26日 金 晴れ
朝、ライヴに関するメールが入っていた。6月の予定である。新しい曲をいくつかできると良いな。

散歩が気持ちよい季節になってきた。川沿いの桜がつぼみを付けている。

夕方チラシを見た人から電話がある。ぽつぽつと問い合わせが入る。

いよいよニュースステーションが今日で終わる。18年半。決して短くない。最後までは見ないが、少しだけでも見ようと思う。


3月25日 木 晴れ
ライヴ依頼の電話が入る。嬉しい。
詳細は後ほどメールで知らせて頂けることに。

散歩が気持ちよい。

ある人の歌をハープギターで弾けないか、ポジションを探る。
ほんの短時間しか弾けない。


3月24日 水 晴れ
朝、問い合わせの電話が一件入る。土曜日に来て頂くことになる。

11時、O氏が来られた。来られる度に良くなっていくのでこちらとしてもやりがいがある。

午後、左手の具合が思わしくないので、去年6月に行った中国推拿に行く。
腕を中心に1時間半くらい躰をほぐしてもらった。私の躰はかなり硬いらしい。「背骨の両脇に鉄板が入っているように硬い」と
言われる。
なるべく躰を動かさないとと思うが、ほぐすのが目的なので、躰が硬直しないようにするのに気を配らないといけない。
帰宅後、散歩する。川沿いに建つ家で瓦を外しているところがある。家財も無くなっているので改築なのだろうか。
川縁の家は何をするにも難しそうだ。


3月23日 火 曇り のち 晴れ
朝、H氏が来られてチラシをもっていかれた。有り難い。

昼時、問い合わせの電話が一件入る。

いつものコースを散歩する。川沿いの散歩はとても気持ちが良い。

夜、O氏が電話をしてこられ、明日来られることになった。


3月22日 月 雨
10時に整体に行く。この一週間左腕が痺れていることを伝える。
手や腕だけが悪いのではなく、肩から悪いことを指摘される。
躰をほぐしてもらいながら、「左肩は五十肩の一歩手前」「右肩は五十肩の二歩手前」と診断される。
ここの筋肉が硬くなっているため、血液の流れが悪くなり、腕、手が痺れる。
次回は浜松に行く前に診て頂く予定である。

明日折り込むためのチラシを配布する。
野田川町への折込は今回が初めてである。果たしてどのような反応となるだろうか。


3月21日 日 晴れ
近くにある大手靴販売店が新装オープンしたので商品を見に行く。
良いものを見つけてもサイズが合わずに諦めてしまいそうになるが、そこそこ良さそうな靴を見つける。
履き心地は良い。これに決めた。
それで終わりにしたかったが、Hがサイズの大きいスポーツシューズを見つけ、これも買ってしまった。こちらは29cmである。
メーカーによってサイズ差はあるのだが、スポーツシューズであると大抵29cmとなる。

この後すぐ近くの花屋でHが花を買う。

昨日決めたホテルに予約してもらうように依頼する。

散歩に行く。久しぶりに親戚のおばさんに会う。元気そうであった。

夜、明日配布する広告の枚数を数え、配布先ごとに分ける。

腱鞘炎の具合が悪く、とても心配である。一週間ギターを弾いていない。と言うかとても弾ける状態ではない。
気持ちで負けてしまいそうになるのが恐い。これからだと言うのに。
腱鞘炎に関する読み物をいろいろ読んでいる。


3月20日 土 晴れ
妹が子供達を連れてくる。
姪を連れて公園に行く。以前より雲梯(うんてい)をやってみたいと思っていた。
姪はこれをスイスイと進んでいくのである。私もやってみた。ぶらさがっているだけ。前に進めない。
体重があるのと、腕の筋力が落ちているのだな。
頭の中では少しは前に進めると思っていただけにショックである。
腱鞘炎がヒドイので一回試みて止める。

姪に促されて、丘の上に登る。ここは良い。大宮町が一望に見渡せるのである。天気が良いし、非常に良い気分だ。
ここから我が家も見ることができた。

お彼岸である。母の休みの日でもあり、墓参りに行く。まずはここの安田家のお墓へ。落ち葉が大変な量でこれをかためるだけでも
かなり時間がかかった。お参りを済ませて隣町の母方安田家(母は安田から安田へ嫁いだ。名字が変わっていないのである)の墓へ。
私とHも母方の墓参りは久しぶりである。落ち葉を片づけ、草むしりをして綺麗にする。
姪がよく手伝ってくれるのである。

我が家に戻って少しすると妹と義弟が来た。
家と妹家族で旅行に行こうと言う話が具体的になりそうな雰囲気になってきた。姪が4月から小学校に行き出すとなかなか家に
来る回数も減ってくるだろうから、この機会がよいのではないかと思う。


3月19日 金 晴れ
昼にHと寿司を食べに行く。一ヶ月に一回くらい行っているかな。ふだんは贅沢していないから良いかと思う。

左手の具合は相変わらずだ。よくない。昨日今日と右手の具合もよくない。
ここ五日くらいギターを弾かずにいるのだが、好転しない。困ったものだ。とても不安になる。
このせいで連日ライヴするツアーが組めない。一体いつまで続くのかなあ。腱鞘炎には気を付けないといかんなあ。

チラシが届く。来週配布する。

天気が良く、今日の散歩は最高であった。

体重が83.8kgになった。散歩効果か。次の目標は82kgを割ることである。


3月18日 木 曇り
Hが車の車検に行ってくれた。12万円くらいの出費である。車の維持にはお金がかかるなあ。
せいぜい有効利用したいと思う。

天気があまりよくなく、散歩に行けず。

U-23は良かったなあ。アテネ行きが決定する。胸がすくゲームで気分は最高。
点が入るサッカーは面白い。


3月17日 水 晴れ
午前中に金融機関に行く。国際為替を換金しにいったのだが、慣れていないせいかとても時間がかかった。30分以上は待った。
実際に口座に現金として振り込まれるのがかなり先になる。
控えをもらって帰宅したところ、担当の女子行員から電話が入り、「渡したお客様控えは必要だから帰して欲しい」と言う。
再度出かけてお客様控えを返す。それのコピーをもらって帰る。
田舎の金融機関に行くと毎回思うが、外為に関する処理になれていないせいか非常に時間がかかる。丹後にはドルを使う
ような人は住んでいないと言うことか。

ライヴ依頼をしたギャラリーオーナーからメールが入る。早々にご連絡頂け非常に嬉しい。
4月、ギャラリーにお伺いすることになった。とても楽しみである。

とても気持ちの良いポカポカ陽気の中、散歩する。最高である。


3月16日 火 晴れ
朝起きてすぐ、腰がグキッといく。腰にゴムバンドを巻く。とても良い天気である。

アメリカからのメールを読み、彼の提案に従う準備をする。

Hに頼んで、郵便局に口座を作ってもらう。時間はかかったが、他の金融機関よりすんなり事が運んだようだ。

妹が来ていた。何でも新鮮な鰈を手に入れたので持ってきてくれたようだ。有り難いことである。私はカレイ好きだ。

Kさんからメールが届く。ビジネスでも彼と付き合いができればと思う。

とても天気が良いので散歩に行った。気持ちが良かった。


3月15日 月 晴れ
無理して弾くことはないのに弾いてしまう。
もう少しは左手のことを考えないと。ずっと痺れている状態が続いている。


3月14日 日 晴れ
朝、O氏が来られる。

父は朝からSに出かけたため、我々は昨日行けなかったギャラリーに行くことにした。
ギャラリーの近くのラーメン屋さんで昼食をとってからと思ったが、そのギャラリーでもランチをやっていることが分かり、
こちらの昼食を選択する。Hはワッフルランチを選び、私はバラ寿司ランチを選んだがシャリが無くなっていたため、バラ寿司ランチ
を諦めないといけなかった。二人ともワッフルランチとなる。
美味しかった。昼に甘いランチも面白い。
食事の後、女主人に挨拶する。音楽が分かる人のように見受けられた。
次回はバラ寿司ランチを食したい。

家に帰ると置物が。妹がカニを置いていったらしい。5ハイだ。まだ生きている。
母が帰ってきてから相談する。妹に電話すると近くの公園(昨日姪を連れて行った公園)にいるらしい。昨日忘れ物をしていたことも
あり、来てもらう。水ガニなので茹でで食すことになる。
親ガニと比べると味が淡泊である。足は美味しく頂けた。甲羅のミソの部分が生臭かった。親ガニに軍配が上がる。
今日から春場所が始まった。


3月13日 土 晴れ
妹が子供達を連れてきたと思ったら、義弟も一緒に来てくれていて、トイレの水道蛇口が動かないように二本の木を使って固定
してくれた。これで一連の補修が完結したことになる。

甥は妹や母さんについてショッピングセンターに行き、姪は私とHについて公園に行くことにした。
ほんとはカフェに行こうとしていた。姪は公園に行きたいと言うものだから行き先を変更した。
パン屋Tにて姪が気に入ったパンを買ってあげた。これを持って公園に。子供達が沢山居た。
とても大きな滑り台があり、これがお目当てのようだ。大人で滑っている人はいなかったがやってみた。
滑りやすいようにローラーの付いた滑り台であった。どんどん勢いよく行くのは良いが滑り終わった後、立っていられないくらい
おしりが痒かった。まいった。
この後ベンチに座ってパンを食べた。Tのパンは美味しい。

家に帰る前にスーパーに寄って姪にアイスクリームを買ってあげる。
とても喜んでいた。この子もいよいよ小学生なんだなあ。


3月12日 金 晴れ
散歩が気持ちよい。春だなあ。


3月11日 木 晴れ
コンサート依頼の手紙を書く。

軽装で出たが、今日の散歩は涼しく感じた。


3月10日 水 晴れ
今日は暖かかった。

弟の家から中国土産の中国菓子と子供達の写真が送られてきた。
母さんは写真を見ながらカラカラと笑いころげ、菓子に舌鼓を打っていた。私も食べたが美味しいお菓子だった。
3番目の子供が大きくなった。少し見ない内に。今年は1番上の子が小学校に入るので、帰省する回数も減ってくるだろう。
ゴールデンウィークや夏休みには帰省できるかな。

今日の散歩では小学生に出会わなかった。こんな日もある。

4月から来たいとのことでご婦人から申込があった。母の同僚である。長く続けて頂けると良いのだが。


3月9日 火 晴れ
良い天気で散歩が気持ちがよい。小学生は道草大王ばかりでなかなか家に帰りたくないようだ。


3月8日 月 晴れ
朝、良い天気なのだが、一面の雪がまぶしくて変な感じだ。

借りていたものを送る。高価な物なので運送料より、保険料の方が高かった。これは珍しいことだ。

注文しておいた本が届いたとの連絡があり、取りに行く。
この本なかなかよくできており、使えそうである。

浅田農産会長が自殺した。天災ではなく人災にしてしまった点は非難されてしかるべきだが、自殺することだけは止めて欲しかった。
真面目に生きてきた人ほど、このような災難が起きてしまった場合、自分を追いつめてしまうのだろう。
死んだ人も遺された者も不幸になる。自殺はいかん。何としても思いとどまって欲しかった。

ほんの十数日くらいのことで自殺にまで到ることが起こりえる社会。
一気にプラスがマイナスに変わってしまう社会。
今まで社会の枠組みでは捉えきれない、対処できないことが次々と起こっている。気を引き締めていかないと。


3月7日 日 雪
一体どうしたことか。雪が降り続く。
3月だと言うのにこの冬一番の積雪ではなかろうか。一気に積もったのだ。

日曜日だと言うのに降りっぱなしで、家の前の往来も少ない。
早く春にならないかなぁと思ってしまう。

待ち人からやっとメールが来る。
借りていた物を明日返却することになった。


3月6日 土 雪
朝起きていたら、雪が積もっていた。
今日、愛媛県から、天ちゃんがお客さんを連れて天橋立に来る。
10時過ぎ、携帯電話にかけると、間もなく傘松に到着するとのこと。こちらも出発することにした。
少し前に荷造りしておいたものを持ってヤマト運輸へ行く。
その足で傘松へ。
待ち合わせの店で待っていると「股覗き」をして降りてきたお客さんの中に天ちゃんを発見。
去年より太ったんじゃあ。
相変わらずのダジャレ連発である。
数十分話して別れる。天ちゃん一行は城崎へ行った。去年に続き今回もカニツアーである。

私とHはミップルへ行く。あまりに雪が凄いのでミップル内で食事することにした。
全く知らなかったのだが、ラーメン屋Sing Singを見つけて入った。
丹後から浜松に行くときにたまによるのだが、福井県の高浜町にもSing Singがあり、贔屓にしていたのだ。
宮津ミップルのSing Singも美味しかった。これからも贔屓にしよう。

雪が降り続いている。かなり積もりそうだ。

無事に帰国したと弟が成田から電話してきた。無事で良かった。


3月5日 金 晴れ
朝、H氏から電話があり、教育委員会に行くことになった。
どのタイミングで行くのがよいのか分からなかったが、H氏がお膳立てしてくれたので、有り難く同行してもらうことにした。
私が中学校に通っていた頃にいらっしゃった先生が指導主事をされていて挨拶がスムーズに運んだ。今後いろいろな場面で
お世話になると思う。

この後、何軒か回るが留守ばかりで会えず。
気にかけてくれる人がいて有り難い。何とか丹後でライヴ活動を活発化させたい。
自分のライヴだけでなく、イベントを活発化させたいと思うのである。


3月4日 木 雪
3月にしてはよく雪が降ると思う。

夜、少し遠くでキキィと言う音がして、何かにあたるような音があったすぐ後、30秒以上クラクションが鳴っているように聞こえた。
父に「事故のような音がしたね」と言ったが、「聞こえなかった」と答える。「本当に事故だったらはっきり聞こえるはずだ」と。
数分後、家の前で「人身事故みたいだね」と話す声が聞こえたので父にそういうと家の前に出た。100メートルほど北側で車が
止まっているらしい。野次馬の父は現場を見に行ったまま帰ってこない。
その内、パトカー、救急車、消防車までが来た。

どうやら軽自動車が水門に衝突したらしい。フロントガラスは粉々で、運転手は額から血を流していたとのこと。
車前方がVの字に折れ曲がり、大破していて車から煙が出たので念のため消防車も呼ばれたようだ。
その軽自動車はノーマルタイヤだったらしいが、まだ雪が降る月だと言うのに交換するのが早すぎたな。
ノーマルタイヤでスピード出して雪道を走っていて事故にあったのだから、同上の余地もない。


3月3日 水 雪 のち 雨
朝起きたら雪が積もっていた。4センチくらいだろうか。早い内に溶けて消えた。

昨日電話してきた男が訪問してきた。
先物取引の営業マンである。
華奢だがなかなかしっかりしており、家に上げてくれと言う。上げてやった。
最初に、先物取引をやる気はないと言ったが全く意に介していないと言うか、気持ちを変えさせるのはわけないといわんばかりに
説明を始めた。
説明のうまい男であった。説明が分かりやすい。既存のものに頼らず、自分でチャートをその場で描き説明していく。
「昨日、一昨日と700円のストップ高で…」「今年4月からOPECは…」 説明が理路整然としているのである。
私が分からなかった点も丁寧に教えてくれた。
今までにないタイプの先物取引営業マンだ。今までの営業マンは良い面の話しかしない。
私が悪い面のことを持ち出す前に彼は悪い面の説明もし出した。相手の不安を払拭するには大事なことなのである。
なかなかやるのである。
散々説明をさせておきながら彼には悪かったが、「100%先物取引をやらないことに決めた」と言って、その理由を説明したら
彼もそのことは認めた。
先物取引は株のようにゼロになってしまうことはないのだが、ある点において、ある範疇の人が圧倒的に有利なことが分かって
しまったのである。それ以外の人は圧倒的に不利と言うことになる。
最初から勝負がついているようなことには首をつっこんではいけない。

最近猛烈にセールスについて勉強しているから、セールスマンの次の一手が読めるようになってきている。
思い通りの展開になると苦笑を禁じ得ないくらいだ。
それにしても今日のセールスマンは最近のセールス手法を取り入れていて侮れないと思った。
彼が弱かった点は一番良いセールス手法を使っていなかったことである。
それにしても職業はたくさんあるのに、よりによって先物取引を商売にしないといけないとは彼の人生はつまらないものになると思う。

次のチラシ構想を練る。
焦らずぼちぼちと。

弟から母に電話が入る。中国上海の近くからである。出張で中国に。無事に帰ってきて欲しい。


3月2日 火 雨
チラシvol.2が朝刊に入る。一番チラシが少ない日を選んでいるつもりであるが、16種類ものチラシが入っていた。少なくない。
朝一番で反応してきた人がいる。知っている人と言うより,長く会っていなかった人から電話があり、電話じゃ話ができん、
と言うことで家に来られた。
いろいろ話して帰られたが、私が知らない地元のことに精通していて、話がとても面白かった。
今後の役に立ちそうな話もあり、それについてはアクションを起こしていかないといけないだろう。

午後、本を読む。散歩に行きたいが雨で行けない。

コンサート関係のコレポン。ライヴ日取りを決めたりするのはワクワクする。楽しみである。


3月1日 月 曇り
10時、整体に行く。腰を診てもらう前に二種類の機械で体をほぐす。腰に柔軟性が出てている。躰が伸びるし、背骨もぼきぼき音がする。
仙腸関節を調整してもらう。やはりこれが決め手である。

毎日の日課、ビジネス書を読む。ほんとに日課になっているな。
ただ読んでいるだけではない。実際それを実践している。効果が分かるのは3ヶ月くらい先なのだろうなあ。

明日朝刊用のチラシ(vol.2)を配達に行く。
S新聞専売所では缶コーヒーをいただいた。どの販売所の人もとても人当たりが良い。


2月29日 日 曇り
本を読んで過ごす。

Acoustic Breath V の案内文を作る。
ホームページで公開する。


2月28日 土 曇り
増田さん宅へ。ついつい長居をしてしまう。
なかなか思うようにはならないものです。いつものことなのですが。


2月27日 金 雪 のち 曇り
朝起きたら雪が積もっていた。5センチくらいだろうか。
こういう天気の日にPから電話がある。許可がおりたとのこと。許可証を取りに行く。

O氏が来られる。

午後は次のチラシの最終チェックをする。何度も何度も変えているうちによくなってきたと思う。
大事なのはどれだけの反応を得られるかと言うことであるが。

増田さんのホームページが完成したため、リンクを張る。


2月26日 木 曇り 一時 雪
寒い日となった。散歩に行こうと思っていたら、雪がパラパラと降ってきた。散歩が中止になる。

久しぶりにPatrica Kaasを聴いている。フランスに行きたくなってきた。


2月25日 水 晴れ
薬指の痛みがやや取れてきたが、掌全体が痺れている。腱鞘炎の特徴である。

とても良い天気で散歩する。非常に良い気分である。

午後はデータ収集をしていた。

一時増えたが19日と同じ、84.4kgに戻った。ここから下を目指したい。
体脂肪率は22.5である。かなり誤差があるようにも思える。


2月24日 火 曇り 
指の痛みで憂鬱である

妹が来て母を連れて買い物に行ってきた。チーズケーキをお土産にくれた。
Hがお昼の鍋焼きうどんを妹の分までサッと作ったことに妹は感激していたようだ。
美味しくチーズケーキをいただいた。

第二号のチラシが届いた。


2月23日 月 曇り 一時 雨
朝起きたとき、指が痛かった。直らないのかなあ、この薬指。

Hが外出から戻ると手にTのパンを持っていた。うまい。ここのパンはほんとにうまい。

午後、メイプルハウスに電話し、敬子さんと話す。4月13日火曜日にライヴをさせていただくことが決定した。
この一週間、落ち込んでいただけに非常に嬉しい出来事となった。

足立典正氏の個展が今日で終了。様子が分かればホームページでご紹介します。


2月22日 日 雨
早起きする。Hが宮津で用事があるため、送っていく。車が少ないと、大宮町←→宮津市は一時間弱くらいだ。
予定では汽車で帰ってくるはずだったHから電話があり、「一時間くらい汽車が来ないので迎えに来て欲しい」とのこと。
急いで行ったら25分強で行けた。いけないスピードは出していないが意外と早かった。
Pのパンを買ってくれていた。まずまずである。


2月21日 土 曇り のち 雨
散歩をしようと準備していたら雨が降り出して、今日は中止。
2月にしては珍しく良い天気が続いて、今週はよく歩けた。

本を読んで過ごす。


2月20日 金 晴れ
左手中指の痛みが和らいだが薬指の痛みが取れない。ほんとに今回は重症である。情けない。

今日も天気が良いので散歩する。いつものコースを少し伸ばして歩く。とても良い気持ちである。正味50分の散歩となった。


2月19日 木 晴れ
かなり重症である。今日も左手中指と薬指の痛みが取れない。

天気が良いのでいつものコースを散歩する。散歩をすると気持ちが落ち込むのを上向きに変えられる。

3日のチラシを見た人から電話があり、1時に来られて2時間半話をして帰って行かれた。

17日に来られた方が7時過ぎに来られる。2時間弱おられた。1時間内で終了できるように密度の濃いものにしていく。

久しぶりに体重が85kgを割り、84.4kgになった。豆乳かフラバン茶かはたまた散歩効果か。次の目標は82kgを割ることである。
体脂肪率も減ってきており、21.0を割った。次の目標は20.0を割ることだ。


2月18日 水 晴れ
今日も左手中指と薬指の痛みが取れない。痛い。指が真っ直ぐに伸ばせない。

天気が良いのでいつものコースを散歩する。

ドイツワールドカップ予選の初戦である。対戦国はオマーン。
最後の最後で久保が決めてくれた。
とてもイヤな雰囲気が続いており、スコアレスドローで終わるかと思っていたが、決めてくれた。
やはり人間、諦めたらあかんな。最後まで頑張らないと。


2月17日 火 曇り
去年6月のかつて体験したことがなかった、ひどい腱鞘炎のことを忘れた訳ではなかったが、昨日は弾きすぎた。
湿布して寝たにも拘わらず、指の関節痛がヒドイ。
あぁ、なんて愚かなのだろう。
ここまで弾いたら痛くなると頭では分かっていながら自分で止められない愚。
修行が足らないな。
今日は情けなくて落ち込んだ。

今日昼、3日のチラシを見た人から電話があり、夕方に家に来てくれた。
二人目の生徒なってくれそうである。
こんな教室ができるのを待っていたと言われ、とても嬉しい気分である。


2月16日 月 曇り
10時、整体に行く。腰を診てもらう前に二種類の機械で体をほぐす。腰に柔軟性が出てきたと言われる。背骨はまだ堅いようだ。
仙腸関節を調整してもらい具合がよい。
二週間先の予約をとる。

注文しておいた本を取りに行く。
その本以外に面白そうなビジネス書を二冊買う。最近本屋に行くと5,000円以上使っている。自分で自由になるお金はほとんど
本である。

増田さんのお家に行く。1回目。想像していたよりは良かったと思うが、硬さが取れていないと思う。今日はこれで良い。
増田さんはふところの深い人である。また引き出しが無限にあるように感じる。私ももっと深い人間になりたい。


2月15日 日 曇り
夕方、Hと散歩に行く。風がとても強いため、散歩している人は少なかった。犬が無理矢理散歩に連れ出されているような場面にも
出くわした。

夜、母の買い物に付き合う。
大量に買うので最近は、最初からカートを押すようにしている。
買ってきたいちごが美味しかった。


2月14日 土 雨
FMジャングルのリスナーの感想が届いた。

11日(水)の「ちょっと言いタイム」のハープギターの音色が忘れられません。。。
とっても感動したんです。。。またいつか曲聴かせてください (ライヴ行ってみたくなりました)

とても嬉しい感想です。豊岡でもライヴしたいですね。今年は豊岡でもライヴしたいと思います。

妹が子供を連れてくる。まだ風邪が完治していないらしく、姪はゴホゴホやっている。
Hがずっと姪の相手をしていた。移されてなければ良いが。

Hが作ってくれた生チョコがとても美味しかった。ラム酒の効き具合も絶妙である。


2月13日 金 晴れ
良い天気になった。

萩さんからメールが届く。タイトルは「本屋へ走れ」
タイトルで何のことかが分かった。メールの中身を確認せずに本屋に電話すると今日入荷したとのこと。一部しかないので
取り置きしてもらって「本屋へ走った」 正確には車を走らせた。
1ヶ月前のイベントがもう膨大な大特集になっている。
ドラマー及びヤマハドラムファン必見のドラムマガジン3月号である。

今日も散歩に行く。汗をかいた。痩せたいな。


2月12日 木 雨
久しぶりに散歩に行く。ランニング中の中学生や下校中の小学生に混じって散歩している人が何人もいる。
川沿いを歩くのは気持ちがよい。

増田さんに機材を渡す。
いろいろ情報をいただいた。田舎において音楽で食っていくのは大変なことだ。

雨が強く降る。一気に雪が溶けそうな勢いである。


2月11日 水 建国記念日 晴れ のち 曇り
今日は豊岡でFMラジオに出演することになっている。11時45分に家を出る。
1時間かからずに豊岡に着く。まずは昼食。和食屋を選ぶ。
私は海鮮チラシ寿司、Hは地鶏唐揚定食を選んだ。唐揚定食はコストパフォーマンス高かった。

増田さんに紹介していただいた音楽館を訪れて、松森さんにご挨拶する。弦、打、管楽器が主だがどのような楽器でも
入手可能な楽器店である。松森さんはサックス奏者で、吹奏楽系が特にご専門のようであるが、いろいろなジャンルに
詳しい方と拝見した。挨拶だけと思ったがいろいろ話を聞かせて頂けた。

前から気になっていた但馬空港を見に行った。現在伊丹空港との便があるだけだが、ここから他の空港まで直通できる便が
できると利用価値が高まると思う。伊丹経由で但馬から東京まで最短2時間で結んでおり、いざとなれば使えると思う。
楽器を持って移動するのは大変だと思うが。

豊岡駅前のアイティへ行く。2階のFMジャングルのスタジオ前へ。行って驚いた。エスカレーターの下部を利用して作られた
3方をガラスで囲まれたスタジオだった。
放送中の西村さんが我々に気が付き、スタジオの外に出てこられた。近くのテーブルを使って打ち合わせをする。楽しい方である。
基の元気の元 ちょっと言いタイム(16:10〜16:30)に出演させていただいた。
持参した27弦ハープギターで、ギターの特長を説明しつつ、1分くらい演奏した。楽しいひとときであった。
生演奏後、アルバムタイトル曲である、箕浦さんの「再会」を流して頂いた。
また出演させて頂く機会があればと思う。

西村さんにお礼を言って分かれてから、アイティ内のパン屋でパンを買った後、自宅へ車を走らせた。
すぐにラジオを付けて、チューニングを76.4MHzに合わせた。西村さんが放送を続けておられてた。
取材者の話では、豊岡市及び周辺街合併後の名称が、今日、豊岡市、但馬市、城崎市の3つから選ばれて、一回目の投票では決定と
ならず、決選投票で、但馬市を抑えて豊岡市となることが決定した。無難なところかも知れないが、吸収合併の印象は避けられないな。
そんなニュースを聞きながら走っていると西村さんの話の後、私のティプル曲、「瑞穂伸びたる傍の君」が流れた。
嬉しかったなあ。カーラジオで自分の曲を聴くのも最高である。

FMジャングルの電波がどこまで聞こえるかとずっと聞きながら帰った。兵庫県豊岡市内は当然問題なし。京都府久美浜町は
ほぼ問題なし。比治山トンネルを越えてから聞こえが悪くなるがまだ大丈夫。聞こえた。峰山町に入って長岡の交差点までは
聞こえた。ここから府道を走り出してほとんど聞こえなくなった。自宅にいたのではこの番組は聞けないな。
意外と近いところまで電波が届いていることが分かり驚いた次第である。
これから聞くことができる場合には聞いていきたいな。


2月10日 火 晴れ
役場に行き、必要な書類二種類を交付してもらう。杓子定規な対応しかできない職員に気分を害する。
今日はここまでで、明日のFMラジオ出演を終えてから最終段階に行く積もりでいたが、全ての書類が整ったのでPに行った。
書類とお金を出して申請はあっさりと終了した。
これから1ヶ月くらい待たないといけない。

今日は珍しく一日晴れだったのでいつもの散歩コースを歩いた。Hも散歩は久しぶりのはずである。
天気が良い日に川沿いを歩くのはとても気分が良いものだ。


2月9日 月 みぞれ
義弟が朝から来てくれ、離れの1階ドアの交換と電源工事、2階引き戸の鍵取り付けをしてくれた。
ずっと立ち会っていたが、なかなか大変であった。丁寧に仕事してくれて、とても良くなった。
妹、子供達は風邪っぴきで寝ているらしい。

ずっと雨まじりの雪である。積もりはしないがとても寒い。

役所から書類が届く。次の段階に移りたい。


2月8日 日 晴れ
昨日一日中降り続いていたが、昨夜から今朝にかけては数センチの積雪であった。

郵便局のポストへ郵便物投函する。この反応はいつ頃出るだろうか。

天気が良く、一気に雪が溶けていく。道の雪はすっかり無くなり、屋根の雪も半減した。

チラシ第二弾を完成させる。


2月7日 土 雪
総積雪量は30センチを越える。

ずっと雪が降り続いている。注文していたカーテンが入荷したとの電話が入ったので、取りに行ったのだがこれが大変であった。
行きはまだなんとかなったが、帰りの道は猛吹雪。対向車線では追突事故が起きていたくらいだ。
無事に家路につくことはできたが、危険きまわりない道と化していた。
今日はもう外出しない方が良いな。
朝から三度も雪すかしをした。

夜8時、Yさんが来られた。チラシを見て来て下さった方で、初めての体験レッスン者である。
会話は1時間15分に及んだ。
2週間後から正式に来て頂くことになった。
とても嬉しい。
6,000枚配布したチラシの1枚がここに結実した。少しずつ増えていくとよいと思っている。


2月6日 金 晴れ
昨日雪は消えず、新たに降った雪で総積雪量は20センチくらいである。

朝9時前に足立家から荷物が届く。浜松百撰2月号、「心の窓」展案内ハガキ、そしてみかんである。
このみかんが変わっている。「キヨミ」と「デコポン」を掛け合わせた「はるみ」と言う名前の新種らしい。
知り合いや血縁者の名前が出てきて面白い。
心していただきます。

柑橘類好きのHが皮を剥くってくれる。うまい。何といううまさであろうか。ネーブルに近い感じだ。
沢山送ってもらったが、早くなくなりそうだ。母も無類の柑橘類好きなのだ。

ペーパーカッターとセンサーライトを買いに行く。

CDの注文が入ったので発送した。嬉しいね。


2月5日 木 雪
昨日一旦消えたのだが、今朝15センチほど雪が積もっていた。これの連続かな。

雪すかしをするのだが、し終えた後太陽が顔を出し、雪が溶け始める。昨日と同じパターンだ。

午後から本を買いに行く。


2月4日 水 雪
15センチほど雪が積もっていた。

昼頃、太陽が出ると雪が溶けのが早い。屋根の雪もほとんどなくなった。


2月3日 火 晴れ
朝刊にチラシ入る。
正午過ぎ、一本の電話が入る。30代の人であろうか。問い合わせの電話であった。
こんなに早く反応があると思っていなかっただけに驚きである。来てもらえると良いのだが。

近所の人から紹介があり、夕方に電話する。土曜日に面会することとなった。


2月2日 月 雨
10時、整体に行く。体は柔軟性がでてきたが、腰はまだ堅いと言われる。その通りだと感じている。
今後も2週間おきくらいに通いたい。
仙腸関節を調整してもらい具合がよい。

初めてのチラシを新聞折り込みにしてもらうため今日配布する。明日の朝刊に入れてもらう。
はたして反応はいかがだろうか。2、3回広告を打って少しずつ反応があるのではないかと見ている。

父の織っている織機の主要パーツを交換してもらっていて今日は機音がしていない。

部屋を整理する。必要なものだけを残して他のものは2階や母屋に移動した。
かなり良い感じになったと思う。


2月1日 日 雨
1階の掃除、整理をする。かなりイメージが変わってきた。

今後の広告計画を練る。

ジュンテンドーに行き、紙、椅子やシュレッダーなどを購入する。ここは安い。


1月31日 土 雨
離れ1階の天井灯を交換した。コネクターがうまく合わず、Hがカッターナイフであたる部分を削り落とし、なんとか取り付けできた。

妹が子供を連れてきた。
少し手を加えた部屋を見てもらった。
甥と姪は未使用のホワイトボードに絵を描き始めた。子供の絵は味があって良いな。

姪を連れてマインに行く。贈り物を送る。明日届けば良いのだが。


1月30日 金 雨
昨日買った本を読了した。
本を数時間で読了するのは久しぶりである。非常に面白い本であった。
丁度自分も考えていたようなことも書かれてあり、頷きながら読んでいたところもある。
難しい内容であるが、分かりやすく書かれてある。


1月29日 木 晴れ
スリッパ、カーテンを買いに行く。
カーテンは気に入った色、柄のものが1セット分しかなかったが、他に良いものがなかったのでこれを買い、もう1セットは注文した。

午後からPに行く。書類をもらってきた。時間がかかった。


1月28日 水 晴れ
今日は良い天気である。空が素晴らしく青い。
誕生日である。41歳になった。同じ日が誕生日の父は69歳になった。

今日初めて表札を出した。反応は来週になってからだろう。

ホワイトボードが届く。一人で組み立てた。意外と簡単であった。
印鑑が届いた。

Hはケーキを作ってくれた。生クリームを塗っていちごをふんだんに使ったシフォンケーキである。
今日は上出来で、美味しそうだ。いちごの重みでケーキの上部分が変形してきた。
シフォンケーキは繊細なケーキである。

Hは三店も回ってネタを集めて、夕食に手巻き寿司を用意してくれた。父もとても喜んでいた。
今日のネタはとても上質で美味しかった。食べ過ぎてしまった。痩せたいのに痩せられない。
食事中に義妹が電話をしてきてくれた。姪甥が誕生日の歌を歌ってくれた。父も喜んでいた。

少ししてから、仕事からまだ帰れていない弟から誕生日祝いの電話があった。忘れずに連絡してくれる可愛い奴である。

シフォンケーキが美味しくて全て食べきってしまった。

風呂からあがると足立家から電話があったとのことで、折り返し電話する。
宴会状態の足立家から「ハッピーバースデー」の合唱が聞こえてきた。嬉しいねえ、足立家。
賑やかなので何人か客人がいるようである。
二月はデニッシュで個展である。見に行きたいなあ。


1月27日 火 雪
朝、与謝の海病院にMRI検査を受けに行く。午前9時過ぎ、道路はもう凍結していなかった。
磁気に反応するものは全て体から外して検査を受ける。
正味15分くらいだっただろうか。頭をしっかり固定し、身動きがほとんどできない状態であったので疲れた。
脳神経外科に行き、結果を聞く。
全く問題なし。ほっとした。
CT検査、MRI検査ともに問題なしだから、あまり深刻には考えなくてよさそうだ。ストレスをためないようにしないと。

午後から役所に行く。4種類目の役所である。あと1箇所行く必要があるが、これは2月に入ってからになる。

コメリに行き、木を買う。


1月26日 月 雪 のち 晴れ
昨日書いた手紙を郵便局へ持っていき、投函。注文頂いていたCDを窓口から送る。10円、5円切手を買う。
積雪量は30センチを越えている。駐車場から車が出せないのでとりあえず郵便局までは歩いて往復した。

朝、Hが仕事してきた山梨のBからパンのセットが届いた。美味しそうである。納得のパンセットではないかと思う。

午後すぐにHが明日までに登録しないといけないことがあると言うことで、宮津まで行く。その建物の近くにあるパン屋Pで
パンを買い、食す。どうもここでは焼いていないようだが、うまいと思う。本店は愛想が悪いのだが、ここは少しましと
言ったところか。

一旦帰宅し、雪すかしをする。
峰山町の役所へ行く。ここでは一日で完了した。

帰宅後、離れの整理を開始する。なかなか時間がかかる。取りあえず今日の目標は到達。明日続きをやろう。


1月25日 日 雪
朝から本を読んで過ごす。
今後の展開をどのように進めるかを考えながら読む。

Hが15:02の汽車で帰ってきた。12日の朝に出発してその日に山梨に到着してから昨日まで一日も休まずに仕事をしていた。
お疲れさんである。風邪を引かずに最後までできて良かったと思う。

食事を始めたところにex-Big Boss Hagiから電話があった。今日が浜松最後の日で、明日横浜に帰られる。
40年勤めたYamahaを定年退職された。
今後しばらくは仕事をせずにゆっくりされると思う。充電期間を経てどのような動きをされるかが楽しみである。
お疲れ様でした。

親戚に手紙を書く。明日投函しよう。

夜。雪が降り続いている。母を連れて車で買い物に出る。車でないと到底店までたどり着けないのではと感じるくらいの
降り方だ。明朝は積もっていることだろう。


1月24日 土 晴れ
親戚、兄弟に手紙を書く。駅前のポストに投函する。

Hから電話があり明日ようやくこちらに戻ってこられることになった。清里から丹後大宮までの時刻を調べて民宿にファックスする。

Hが山梨に行く前に修理に出していた車に搭載されているオーディオの修理が上がった電話があり、取り付けてもらいに行く。
取り付けてもらっている間に結構時間はかかったが、客へのサービスは良かった。

3時半から整体に行く。仙腸関節を調整して頂く。少し楽になってきたが、車の乗り降りは腰に応える。

父が新年会でいないため、母と二人でしゃぶしゃぶをする。家でやってもけっこうさまになる。美味しかった。


1月23日 金 雪 のち 晴れ
雪である。20センチくらいだ。予想では40センチくらいの積雪と言っていたので、半分くらいか。
朝7時に間人の叔母から電話があってこちらの積雪状況を訊かれたらしい。間人は多いとのことだが。

9時半、役所に電話すると午後からゆっくりとと言う感じだったので、早くしたいと希望を言った。折り返し電話をもらうことになったが。

運送屋から荷物が届く。Tさん指揮の仕事は予定が大きく狂うことが無く遅れても誤差範囲だからいつも安心して仕事ができる。
今回の仕事も満足のいくものであった。

10時半に役所から電話がありすぐに赴く。この後、昼食を挟んで忙しかった。
やっと本日完了する。ほっとすると同時に実感が湧いてきた。

昼、Hから電話が入り、山梨県のパン屋、Bでの仕事は今日か明日で終了らしい。
ここ3日くらいは午後5時から仕事を始め、午前9までパンを焼いているようだ。風邪を引いていないのが不思議なくらいだ。
さすがに電話の声は疲れている。1日くらいゆっくりして帰ってきてもらえると良いのだが。


1月22日 木 雪
朝から寒かった。少しだけ雪が積もっていた。
10時から整体に行く。月曜日の午後に痛めた腰が良くならないのでいつもの施術所に行く。
仙腸関節の調整をしていただく。
ずれていると思うので、これをしていただかないことには好転しない。
今週土曜日か来週月曜日かどちらにしようかと思ったが、土曜日に診て頂くことにした。

午後から雪が降ってきた。静かなのである。静かに積もるときが恐い。恐らく明日の朝にはかなり積もっていると思う。

トイレの水道蛇口が水を吐かなくなっている。凍っているのだろう。少しひねっておいて部屋に入った。少しして寝ようと着替えて
いる時にトイレの方から音が聞こえた。蛇口から水が出ている音だった。凍らないよう、水の出を小さくして部屋に戻った。
これで朝水が出ないことはない。


1月21日 水 曇り のち 雪がパラつく
朝、役所から電話がある。午後から行くことにする。

お金が足りないといけないので、郵便局でお金をおろす。
役所に行く。指示通りに書類を作成する。
書類のチェックは明日するらしく、明後日行くことになった。

帰宅してから本を読む。今後の仕事に役立ちそうなものから読んでいく。
一日に何種類もの本を読む。ノンフィクションだからできることか。


1月20日 火 曇り
朝CDを発送する。

役所に行く。役所の都合で、今日は1往復しかできないことになる。
役所内のコミュニケーション不足が明確に分かる。民間であれば考えられないような凡ミスである。
結局明日も行くことになった。役所通いの日々だ。

一旦帰宅してから本屋にテキストを買いに行く。
面白そうなビジネス書も手に入れた。会社員の時よりビジネス書をよく読むようになった。以前より面白く読めている。

午後敷物が届く。
午後3時、デスクなどを注文する。納期は1週間くらいのようだ。

数時間経って気が付いた。一緒にペンなども注文すれば良かった。時既に遅し。

夕方になって冷えて来だした。
明日はこの冬一番の冷え込みらしい。
明日の役所は早めに行って、早く帰ってきたいな。


1月19日 月 曇り
あるところからライヴ依頼が来ていた。今年のどこかのタイミングでできたら良いと思う。

弟家族5人が朝のタンゴディスカバリーで帰って行った。静寂が戻る。なんだか寂しい気分である。
その足で整体に行く。今日はここでは初めて、体を揉みほぐす機械にかかる。
これが原因なのかどうか分からないが、この後、腰が痛くなる。整体に行ったのに腰が痛い。あぁー、何と言うことだ。

午後3時を回ってから役所に。
明日ここを2往復する決断をする。1往復40分くらいか。

CDの注文が入る。嬉しい。


1月18日 日 晴れ
朝起きて母屋に行くと皆起きていて、義弟もいた。昨夜新年会の後、やってきたらしい。
小さな子供が5人もいると実に騒々しい。灯油ストーブがあちこちにあるので、倒さないか心配なのである。

午後3時くらいに外出し、ショッピングセンターへ行く。ここで寿司ネタを買って帰り寿司パーティーをする予定だったが、
仕事から戻ってきた母が合流して「夜は外食する」の一言で自宅での食事が没になる。母強し。
もう一店回り帰宅する。

夕方、中華料理店に行く。父が外出先から帰ってきていないので、父を除いて皆で出かけた。
大人6人と子供5人だ。予約しておいたので座席は確保されていた。しかし繁盛している店でなかなか料理が出てこない。
子供たちは食べ終わると騒ぎ出すし、なかなかくつろぐのは難しかった。
弟の子供達は実によく食べた。あれだけ走り回っていたらお腹も空くであろう。


1月17日 土 曇り
朝一番上の子が調子が悪く、峰山町の開業医に診てもらう。耳が痛かったらしい。
近くのNで買い物をする。普段はあまり買うことがないが野菜ジュースを買う。

昼から淀徳書店に行き、Joyous Reunionを委託で取り扱って頂けるよう交渉した。その場で快諾していただけた。有り難い。
一旦自宅に戻り、峰山町に。久しぶりにAに行くことにした。
昨年Aには再三足を運んだがいつも店が閉まっていた。実は近くに店舗を移動されていたのだった。

初めての店に伺った。二人の来客があったが常連客らしく、店主のHさんは私の方に歩み寄ってきた。
Hさんはすぐに私と分かり、私は無沙汰を詫びた。
Hさんも連絡ができなくて申し訳なかったと言われた。
Hさんは数年前に脳梗塞になって、今まで通りの営業ができなかったことを話された。右手と右足が不自由になり、失語症も
ひどかったとのことであった。知らなかった。大変な思いをされていたのだ。
今では歩けるようになり、ゆっくりだが右手で字も書けるようになり、気の置けない人が相手なら話もできるように回復された
とのこと。今では音響(オペレーション)に絞って仕事をされていて、楽器・CDの販売はされておられない。
私は丹後に戻ってきたこと。昨年は演奏活動だけをしていたことなどを話した。
今年はHさんと一緒にライヴ企画などができたら良いと思う。
無性に、長くライヴ活動を続けていきたいと感じてきた。Hさんの音楽にかける思いに胸を熱くした一日である。


1月16日 金 曇り
14:41のタンゴディスカバリーで、義妹と三人の子供達が到着した。
京都からの車中、甥はずっとさわぎっぱなしだったらしい。雪で真っ白の景色を眺めながら汽車に乗ったのは初めてだろう。
朝早くからの移動で疲れてそのうち眠るのではないかと思っていたが、皆元気だった。一番下のSだけは少し眠ったが、
上の二人はパワー全開であった。
母と四人を乗せて買い物に出る。買い物カートに乗って私が押すのを待っている二人。可愛い子たちである。

弟は仕事を終えて、大阪から丹後まで。22:18に到着した。
眠いのを我慢して待っていた父と、弟と三人でうまい日本酒を酌み交わした。


1月15日 木 雪
朝起きて外を見ると降っていた、雪が。
しかし、大した積雪ではなく、5センチくらいだろうか。
車が出せないなあ。今日はいろいろ行きたいところがあるのだけど。
駐車場の雪すかしをするかな。

午前中は契約書を作成する。

午後一、印鑑が届いたので急遽役所に行くことにした。本日完了。

弟が明日帰ってくると電話してきたが、今日弟嫁から家族で帰ってくる旨の電話が母宛にあった。
5人の大所帯になるから母も慌てたようだ。
そうは言いつつ、嬉しそうなのだ。

それを聞いて妹が子供達を連れてきて、家に泊めようかと言っているらしい。家に何人泊まることになるか。


1月14日 水 雪
朝起きて外を見ると積もっている、雪が。
昨晩から降り続いていたからかなり積もるとは思っていたが、20センチに近いくらい積もっている。
家の前の道、車道はほとんど無いが、車が通った分、脇に増えている感じだ。

昨日気落ちするようなことがあったが、何とか数日遅れで進められそうだ。

風邪気味で喉が痛い。が、あまりひどくはならない。

弟から電話がある。大阪と名古屋に一日日をあけて出張があるとのこと。
帰ってこられるなら、帰ってこいと言った。正月は弟嫁の実家に帰っていたため、弟は丹後には帰ってきていない。

ひどく冷えるので早めに眠ることとする。


1月13日 火 曇りのち雪
朝、与謝の海病院に行く。
脳神経外科で診察をしていただく。
問診の後、CTスキャンを受ける。久しぶりである。10分もかからなかった。
自分でも見たが、CTスキャンの結果は悪くなかった。「恐らく偏頭痛でしょう」と診断され、ロキソニンを出して頂いた。
5回分である。毎日長時間痛むと言うのに「頭痛時」に飲むと注意書きがある。
念のため、二週間後にMRIを受けることになった。

帰宅後、昼食を食べた後ロキソニンを飲んだ。少しの間だけ、頭痛が治まっていたように思う。

妹が娘を連れてきた。母に何か買ってきたようだ。今日姪はあまり元気がなかった。大人しかった。
何かの約束を聞いてもらえずふてくされていたようだ。

喉が痛くなってきた。病院で風邪菌を拾ってきたかな。脳神経外科の前が内科の待合いで、咳していた人が沢山いたからなあ。

夜、Hから電話があった。民宿に泊まっているらしい。
自分で決めるときは極力ホテルを選ぶHだが、今回のようなことも彼女にとってプラスになるだろう。
ほとんど店で仕事して、民宿に戻っても眠るだけだろうから、気持ちよく眠れる場所であればどこでも大差ないであろう。


1月12日 月 成人の日 晴れ
非常に良い天気である。暖かく穏やかな日だ。
朝9時35分のタンゴディスカバリーに乗って、Hが山梨へ向かった。
何しろ、電車、汽車の類に乗らない人間なものだから、乗り継ぎをほとんどしたことがないらしい。
今日は、丹後大宮→京都→名古屋→塩尻→小淵沢→清里と、5種の列車に乗り、4回も乗り換えないと行けない。
総乗車時間が8時間半くらいだろうか。彼女生まれて初めてのことだろう。
無事に清里まで着けるか、非常に心配である。
子供を旅に出す親の心理とはこのようなものだろうか。

天気の良い日には散歩したい。最近は15時半〜16時くらいに出発するようにしている。日が落ちてしまうと猛烈に寒くなるからだ。
今日は一人であるいたので早かった。いつも40分〜45分かけて歩いている道を35分で歩いた。
違う散歩道も歩くようにした方が良さそうだ。もう少し長い道のりを。

いつもは淹れてもらっている珈琲を自分で入れる。なかなか納得のいく味にならない。豆は良い豆なのに。


1月11日 日 曇り
コンサート企画の試案を作る。今年からは自分の演奏会だけでなく、丹後にミュージシャンを招聘することもしていく。
そのためのたたき台を今から作っておくのだ。準備してし過ぎることはない。
面白いコンサートをいくつも企画できると良い。

6日にひどい頭痛が起きてから今日で6日目である。今日は今までの中で最も程度が軽い。しかし、まだ痛む。

昨日散歩ができなかったので、今日はいつものコースを散歩した。清々しい。

散歩から帰ってきたら、H宛に浜松のルビュールから電話が入っていた。
山梨県のパン屋、Bにヘルプに行って欲しいとの正式依頼だった。昨日打診されていたが、Hもブランクがあるため、その辺りを
確認してもらっていたのである。
全く知らない店ではなく、ルビュールの慰安会の時に訪問したことがある店なので、Hもその気になったらしい。
明日から23日までの勤務。うまく勤まると良いのだが。心配である。


1月10日 土 晴れ
今日は十日えびすで、天橋立智恩寺に行く。
さすがに人でごった返していた。
人は多いが、智恩寺の周辺に集中していると言って良い。300メートルも離れれば人の通りのない場所もある。
このような場面に遭遇すると、店の立地は生死を分けると言っても良いと感じる。繁盛店とそうでない店の差が大きすぎるのだ。

伊根方面に向けて走るが頭痛がひどくなり、自宅に帰ることにする。
家に帰ると妹が子供達を連れてきていたが、眠らせてもらうことにする。
3時間くらい眠って、夕食のために起きる。妹達はもういなかった。
頭痛はほとんど和らいでいなかった。
早めに就寝する。


1月9日 金 晴れ
義父母からH宛に荷物が届く。野菜が入っていた。嬉しい贈り物だ。
Hがオーバーソックスを頼んだのだが、それだけではあまりにも寂しいためか、野菜を送ってくれたようだ。
ありがたくいただこう。

アマゾンから本が届く。なかなか読みやすい。これこそ攻略本と言えるか。

久しぶりに長く歩く。とても気持ちが良かった。
歩いているときは頭痛も軽くなるように感じる。
後頭部が重いのが気にかかる。


1月8日 木 晴れ
注文していたソフトが届く。
奥が深いな。なかなか習得するには時間がかかると思われる。
実際にソフトを使いながら読んでいくのが良いであろう。

軽い頭痛が続いている。


1月7日 水 晴れのち雨
少し頭痛が残っている。右目の上あたりが痛む。
天気が良かったので散歩に出かけたかったが、大事をとって散歩を諦める。

いろいろと調べものをして資料を揃えていく。

雪が降りそうな天気になってきた。
正月間はあまり降らないで、3学期が始まると降り出す。これが丹後の1月初旬の雪の降り方だ。例年並みと言ったところか。


1月6日 火 曇り
午後4時くらいまでは何ともなかった。
散歩から帰ってきて、午後5時くらいから額のあたりが痛み出す。
少し横になっていたが、痛みが酷くなるばかりなので、頭痛薬を飲んで眠ることにした。午後6時。
夕食を食べずに眠って、午後10時半に目が覚める。この時点でほとんど良くなっていなかった。
眠れない。痛いのである。
これは今まであまり経験した痛みではないと思っていたが、そう言えば飛行機に乗っていて、着陸間際の気圧差で起こる
頭痛に似ている。1年以上飛行機に乗っていないので、最近忘れていた痛みだが、この種の痛みは猛烈に痛い。
飛行機では座っているから良いが立っていられない痛さである。
そんなことを考えながら3時間くらい眠れずにいた。


1月5日 月 曇り一時雨
10時からの整体に行く。
今年最初の整体である。かなり良くなっている。今後は2週間に1度行くペースとしたい。
帰宅後、書類作成。

年賀状が来ていたので、返信を書く。元日、3日、4日、5日と年賀状が届き、かなり増えてきた。

午後から役所に行く。

書類修正。


1月4日 日 晴れ
マーケティングの資料を作る。
だんだん内容の濃いものになっていくのが面白い。

散歩に行く。とても良い気分である。良い天気に歩くのは最高に良い気分である。

年賀状が来ていたので、返信を書く。


1月3日 土 曇りのち雨
義父母から送ってもらったウナギを食べる。浜松のウナギはうまいなあ。
良いタイミングで、妹家族が来て、みんなに食べてもらえた。甥も姪もごはんはあまり食べなくてもウナギはしっかり食べていた。

食後、天橋立にみんなで行く。
智恩寺にお参りしてから、松並木を歩く。
はしだて茶屋より先にはほとんど松並木が続くだけの風景になるので、ここから波打ち際の方に歩く。
甥と姪は大喜びで、波と遊ぶ。油断していた甥の足はびしょ濡れになった。
はいだて茶屋へ。幸い火鉢があり、そこで靴下を乾かす。
我々はそこで黒ちくわと甘酒をいただく。美味しかった。


[智恩寺文殊堂の中で]                              [天橋立海岸。兄妹。仲の良い二人だ]

駐車場に戻り、宮津のミップルへ行き、ここで買い物をする。8人で動いているので、なかなか全員揃わない。
7人まで見つけても、あとの1人を探すのにまた何分もかかる始末。
買い物客もとても多かったので、ほとんど人捜しに時間を費やしていたような感じかな。
そんな中、Hがあったかそうなセーターを見つけ、買ってもらう。

帰宅してから、Hと妹が煮込みうどんを作ってくれて、みんなでいただく。美味しかった。
昼間はしゃぎすぎた姪は、夕食後早々に熟睡していた。


1月2日 金 曇りのち雨
Joyous Reunionの発送準備をする。
送っていなくて、送って頂いた方への年賀状を書く。

峰山の金比羅神社にHと初詣に行く。Hは昨日お参りしていないので初詣。
午後3時頃、神姫バスが何台も駐車されていて、お参りの人が多かった。一泊二日くらいの観光初詣であろうか。
カニが美味しい季節だから、カニ付きのパックツアーは人気があるようである。

金比羅さんからの帰りに郵便物を投函する。

大阪在住の幼なじみK.H.が我が家に来る。久しぶり会う。あまり変わっていないな。
仕事が忙しくて楽器を弾く時間が無いとは言いつつも、最近はピアノを弾いているらしい。
今のところは娘よりうまく弾けるらしいが、その内抜かれることだろう。
彼の実姉は静物を得意とする画家(油絵)で、白日展で入賞したとのこと。次はいよいよ日展に挑むらしい。
大阪に行く機会があれば実物を見てみたい。


1月1日 木 曇り
1ヶ月前に案内を受けた厄除け祈願祭に出席する。数え年で初老なのである。
体の老いを感じることはたまにあるが(特に腰をよく痛めるので)、未だ精神の老いを感じたことは一度もない。
初老を迎える同級生の顔が見たくて出席したと言ってもよかろう。

第一会場の常徳寺本堂へ足を運ぶ。受付に同級生がいたし、本堂に入るとたまに会う三人がいた。
一時間半くらいの儀式を終え、本堂を出たところ、懐かしい顔がチラホラと見えた。

場所を変えて第二会場は、歩いて数分の大野神社神殿。懐かしい場所である。子供の頃はよく遊んだのである。
ほとんど景色が変わっていない。
厳かに祈願祭は終了した。正午を回った。

家に帰ると叔母が来られており、妹家族も直に来た。
昼からかなり飲んで良い気分である。

今年はかなり多くの年賀状が来ていた。
山梨の田崎さんからはオーシャン作の写真が届き、早速コンサートレポートにアップした。さすがはカメラマンである。
とても良い写真だ。

元旦からJoyous Reunionの注文が入る。有り難いことだ。


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