◎青春の夢に忠実であれ [シラー] Johann Christoph Friedrich von Schiller
この言葉に出会ったのは大学に進学して間もない頃だ。大学生の間新聞配達をして生計を立てていたのだが、私が所属していた新聞舗には毎日他社の新聞が配られていた(これは新聞店同士の礼儀であったのだろう)。その中にスポーツ新聞があった。ご存じの通り、スポーツ新聞はスポーツに限らず、芸能界のゴシップ記事やくだらない話が載っているのだが、1ページ目には毎日その日の名言が出ていた。ここには毎日、先人たちの素晴らしい言葉が載せられた。感動することも度々であった。それら名言の中で最も私に影響を与えたのが、上記のシラーの言葉である。
19歳の私には当時いくつも夢があった。すぐに消え去った夢もあるが、今も脈々と続いているものもある。その続いているものがギターである。当時の夢もいくつか叶えている。これからも自分の体がギターを弾くことが出来る間は決して止めることはないだろう。
自分を見失いかけた時、この言葉を思い出す。
[2000年9月10日(日)記載]
◎他山の石(たざんのいし) [詩経]
あまり具体的なことを書くと差し障りがあるので書かないが、この世の中にはどうしようもない人間がいるものだ。とにかく人のやる気を無くさせるのだ。やることなすこと全てマイナス思考。当の本人は上に認められていると有頂天。自分が小さな組織での裸の王様であることに全く気が付いていない。いつも「こんなくだらない人間になってはいけない」と、この男のことを反面教師にしている。とにかく諸悪の根元のこの男を何とかしたいのだが、適材適所が実現しないところでは難しいことだ。ただの愚痴みたいになってしまうが、悪い人間も自分をより良くしていくための反面教師と見ることで溜飲を下げることはできる。前向きに生きよう。早くこの男が淘汰されんことを。
[2000年9月16日(土)記載]
◎為せば成る(なせばなる) [上杉鷹山]
私の知り合いに大変な批評家がいる。彼にかかればどんなギタリストも滅茶苦茶に批評される。有名なギタリストのアルバムでさえ酷評されているので、私のアルバムは散々の評価なのだろう。
彼は多忙な時期も過ごしたが、比較的時間がある時期も過ごしている。その間にはギターを弾くこともできたはずだ。しかし、彼が自身のアルバムを制作する等の話は聞いていない。彼の日頃の批評内容を元に制作すれば、最高のギターアルバムが作れると思うのだが。。。
このアクースティックギター界は意外と蘊蓄をたれる人が少なくないが、そこまでで終わってしまう人がいかに多いことか。どうしてその知識を自分の音にしないのか。音を出してなんぼの現実がどうして分からないのか。その一方で、自分をギターで表現しようとしている人も確かにいる。前向きに自分を信じてギターを弾いている人に捧げたい鷹山(ようざん)の歌。
なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり
自分の力を信じて、ギターで自己表現を続けて欲しい。ギターを弾かない、ただ口先だけの批評家に負けることなく、作品発表、演奏を積極的にして欲しい。潜在能力を持っている人の出現で日本のアクースティックギター界の地図も塗り変わっていくはず。現在はあまりに弾く人が少なすぎる。
[2000年9月23日(土)記載]
◎人間万事塞翁が馬(じんかん ばんじ さいおうがうま) [江南子(えなんじ)]
何が幸いして、何が不幸の元になるか分からない。いちいち一喜一憂することもない、との意味。
人生いろいろなことが起こる。悪いこともいつまでも続くわけではなく、いつか好転していくと考えたい。楽天家として生きるため、この言葉は大事にしたい。調子の良いときは自分を引き締めるために。
[2000年10月8日(日)記載]
◎水滴石を穿つ(すいてき いしをうがつ) [鶴林玉露(かくりんぎょくろ)]
ほんのわずかな水の滴りであっても、長い間に石に穴をあけてしまうことを言う。
毎日毎日仕事に追われる日々が続く。しかし、毎日の自分の時間を無為に過ごしている人とその時間を自分のために没頭している人では天地の差がある。生命には必ず終わりがある。時間は万人に平等である。自分の命が尽き果てるまで、良い人生だったと言い切れるように生きていきたい。そのためにはたとえ短くとも自分の時間は有意義に過ごしたい。
少しずつでもギターを弾く。少しずつでも曲を書く。土日だけでも文章を書く。何でも良い。少しずつでもやっていけば、何らかの結果が残る。自分には時間がないといって何もしないほどつまらないことはない。
一度の人生である。意味のある生き方がしたい。
[2000年10月15日(日)記載]
◎短を捨てて長を取る [漢書(かんじょ)]
短所を直すも良いが、長所を伸ばしていく方が良い。
苦手なことを必死でやるより、好きなことを沢山やって自分を生かす方が。
日本の教育は何でもそつなくできる平均的な人間ばかり作り出そうとしているが、何とつまらないことだろう。他人と違うことがしたい。自分のやりたいことをしたい。時間は限られている。だから自分の得意なことで自分を生かしたい。
[2000年10月22日(日)記載]
◎練習では本番の様に、本番では練習の様に弾け [森田 厳一(もりた げんいち)]
大学生時代に影響を受けた人は多い。身近にいた人で特に影響を受けたのが先輩の森田さん。
プロ並みのドラマーでありながら、独学でアルトサッスをマスターした努力の人。軽音楽部長も経験し、部員からの人望が厚かった。
森田さんとは一度だけステージに一緒に立ったことがある。「あんころもち」と言うポップスバンドで二人とも助っ人で演奏した。森田さんはサックス、私はエレキギターとコーラスをやった。森田さんがサックス用に使ったマイクをそのままブームを立てて、コーラス用にしたのだった。
森田さんは私たちのバンドの練習時によくいらっしゃったが、ある時に口から出たのが上の言葉。
「練習だからと気を抜いて練習していたのではいつまで経っても上手くならんわ。練習の時には本番を意識して弾いて、逆に本番の時は練習の時のように肩の力を抜いて弾いてみ」
目から鱗が落ちた。そうか。練習では本番の様に、本番では練習の様に弾けか。この言葉を聞いてから、できるだけこれを実践してきたつもりである。本番の時には練習時のように肩の力を抜くのは未だに難しいが、この言葉を思い出すと落ち着くことができる。私にとってはとっておきのフレーズだ。
[2000年11月2日(木)記載]
◎恋をして恋を失った方が、一度も恋をしなかったよりマシである [テニソン]Alfred Tennyson
久しぶりに年下の親友からメールが来た。あまりに久しぶりだったので、今までどうしていたのかと思った。彼は恋をしていた。そして生まれて初めて当たって砕けた。今まで片思いしか知らない彼であったが、初めて自分の思いを打ち明けたのだ。
私がこのことばを知ったのは高校一年生の文化祭。確か手芸部の部屋だった。色画用紙に毛糸がついているだけのしおりだったのだが、そのしおりに書かれていたのが、テニソンのことばだった。
これはとてもショッキングだった。
結局高校生の間には自分の思いを打ち明けられることはなかったが、卒業してからはこの言葉が何度も私を救ってくれた。私も何度も当たって砕け散っていたのだ。私にとっての座右の銘は常に前向きに作用するものである。
結婚してからはこの言葉の単語を言い換えて使っている。
「アルバムを制作して、人からどんな批評を浴びせられようと、一度も自己表現をしないよりマシである」
「夢を持ち、夢に向かって行動し、夢やぶれようとも、一度も夢を持たず、行動しないよりマシである」
[2000年11月12日(日)記載]
◎一年の計は師走にあり [丸山健二]
現在日本文学で一番好きな作家を上げろ、と訊かれればすかさずこの人の名前を上げる。この11月に上梓されたばかりの「逃げ歌」を読んでいる。久しぶりに最後まで読み切れそうに思う。
丸山健二はエッセイの名手でもある。かれはあるエッセイ集の中で、上記のことを書いている。「一年の計は元旦にあり」と昔から言われるが、実はこの時点では既に遅いということである。元旦は計画をじっくり立てられるほど時間があるわけではない。だから12月の内から翌年の計画をしていった方が良い。
この言葉に感銘を受け、なるべく実行しようと試みるが年明けてからこの言葉を思い出すことが多い。今年で20世紀も終わる。21世紀の計画に今から取り組めるかどうか。
[2000年12月16日(土)記載]
◎世界の中で何ものも、持続力のかわりになることはできない。
能力でもだめだ。偉大な能力を持ちながら成功できなかった人間は、どこにでもいる。
天才でもだめだ。不遇の天才などめずらしくもない。
教育でもだめだ。世界は教育のある落伍者であふれている。
持続力と決断力のみがすべてを行う。 [レイ・クロック]
21世紀最初に紹介する名言は、10年くらい前に知った上記の言葉である。最近になってレイ・クロックがどう言う人かが分かった。それで益々この言葉に深みが加わった。
人は壁にぶつかった時、自分には才能がないから、天才ではないからできないと、諦めることがある。しかし、才能がある人が、天才が、高学歴の人ばかりが成功してきた、成功しているわけではない。諦めてしまうことが一番いけない。継続して続けることは本当に意義のあることだ。自分の信じていること、好きなことは続けて行きたい。
21世紀もギターを弾き続けていき、自分の存在価値を問う。
[2001年1月13日(土)記載]
◎鶏口となるも牛後となるなかれ [史記]
今日は38歳の誕生日。その記念の日にとっておきの座右の銘をお届けする。
けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ、と読む。
意味は大きな集団の一人として人の後ろにいるよりは、小さな集団の長に立つ方が良い、の意味である。
現在は生活のために会社に所属している。中途半端が嫌いなものだから、適当に仕事をするのではなく、十分に仕事をしている。しかし、これを定年まで続けたらよいとは思っていない。できるだけ早い時期に鶏口になることを目指して日々生活している。
この言葉はそのままギターにも当てはまる。ハープギターを弾いているのは自分がこの楽器が好きであるのが第一の理由であるが、それだけではなく、他の人がやっていないことをやって、自分の存在価値を問いたいのである。人がやっていないことをするのは、一つのことを試すのもかなり時間がかかるものであるし、その評価も自分が思うように得られないこともある。
しかし、思った以上の評価を得られたときの喜びは普通のことをやって得られるものの比ではない。これからも自分の信じた道を進んでいきたい。
[2001年1月28日(日)記載]
◎人の論文を読んでいると考える暇がなくなる。
自分の考えを信じて研究を進めるのが私のやり方だ。 [利根川 進]
利根川さんがノーベル賞を受賞された頃に聞いた言葉である。とても新鮮だったことを覚えている。
現在、生活のための仕事をしながらギターを弾いている我が身には、この言葉の持つ意味は大きい。勉強と称し、何時までも他人の曲のコピーに明け暮れて、この先も自分の曲を書かないであろう人が少なからずいるが、そういう人と一線を画すには自分の考えを信じて進むのが最良の方法だ。
誰よりも他人の曲がうまく弾けるのを生き甲斐にして生きているわけではない。この短い人生で自分の在り方を問うためにギターを弾く。しかも楽しみながら弾く。ギターは実に奥が深い。自分のやりたいことを試しているだけで、時間は過ぎていく。
人の動きばかりに捕らわれていないで、自分の道を切り開いていく力が必要だ。
[2001年2月12日(月 振替休日)記載]
◎何かを・・・オリジナルな何かを書くことなしには
一日も過ぎることがあってはならない
[キャサリン・マンスフィールド]
今日、ホームページ開設1周年になる。
このページでは、自分が今までに影響を受けてきた言葉を紹介してきた。今日紹介する言葉は、今までに最も衝撃を受けたものの一つである。
この言葉を知ったのはいつ頃のことだろうか。今、手元にある手書きされたものには平成元年一月十八日の日付がある。知ったのはその前の恐らく学生の時だろう。
この言葉の意味は重い。とても重い。
今はホームページ上で思いついたことを書くくらいだが、割とまともに日記を書いていた頃がある。その日記を書く時間を適当に切り上げて、自分の文章を書くのに費やしていた時期がある。とにかく短くても毎日自分の書きたいことを書いていた時期が。
今マンスフィールドのこの言葉を見ると「何をやっているんだ、俺は」と思うことが多い。毎日毎日仕事に追われて。これが俺の望んでいた人生なのだろうか。そのような思いから引き上げてくれるのがギターだ。そしてアルバム作りだ。毎日新しいフレーズは生まれてこないが、遅々とはしているが、自分の音楽を作っていきたい。これからも、いつまでも、自分を表現していきたい。
何かを---オリジナルな何かを創ることなしに 大事な日々を無為に過ごすことがあってはならない 守彦
[2001年5月3日(木 憲法記念日)記載]
◎ユーモアは人間が生き残るためにきわめて重要な、欠くべからざるものだ。
しかし、私たちはすぐにそれを忘れてしまう。私たちは笑ったり、楽しんだり、遊んだりするのは大人げないし、愚かだし、プロらしくない、と教えられている。これほどの嘘はない。
心の病のほとんどは、喜びと生の実感が失われることからはじまるのだ。
[C.W.メトカーフ]
今日でホームページ開設2周年になる。
このコーナーに書くのは実に1年ぶりだ。私の座右の銘でキャサリン・マンスフィールドの言葉はとても重いので、なかなか次が書けなかった。
最近見つけた上記の言葉にはとてもショックを受けた。近頃笑顔を忘れていないだろうか。そんなことをよく考えるようになっていたからだ。笑顔を忘れない生活をするためにもこの言葉を忘れないようにしたい。
[2002年5月3日(金 憲法記念日)記載]
◎・・・いつでもどこでも通用する望ましい方向性、有効な方法論、適切な観点など、もともとありはしない。・・・
・・・世の中には根元的な曖昧さが横たわっている。
・・・曖昧だからこそ、その曖昧さを自らで解釈し、自らで道筋をつけて、曖昧さを切り拓くことが肝心なのだ。・・・
・・・方向性が与えられるのを待つのではなく、方向性を自力で描き出すこと、どこかにあるかもしれない方法論を探すのではなく、方法論を自力で編みだすこと、どこかで有効だった観点で整理するのではなく、自力で状況を捉える観点を築くことが必要だ。・・・
[曾小川久英]
先日受けた曾小川さんの研修の中での言葉。「曖昧さを切り拓く」からの抜粋。
世の中には既に敷いてあるレールに乗っかったまま、一生を終える人が多く、その生き方は楽ではあるのだが、それで本当に良いのか、と自問自答してしまった言葉だ。
ある難問にぶつかって前に進めない状況になると、人からアドバイスをもらったり、書籍にあたり先人の行動から答えを引き出そうとするが、問題が難しければ難しいほど、自分で考えなければいけない部分が増えていく。自分が率先して動くとは、自分の頭で考える習慣を身につけるということだ。
自分の人生は自分自身で考え、進んでいかなければならない。
[2002年9月21日(土)記載]
◎絵を描いて生きている、と言う事、
それぞれの人がそれぞれの想いで自分の前に「一本道」を探して歩いて行っていると言う事、
苦しい道程がいくつも待っているとしても、
自分の前にある「一本道」は決して先を暗くはしていない!と言う事。
[足立典正・まゆみ]
お会いしてから親しく付き合わせていただいている足立家。
画家の典正氏をまゆみ夫人がサポートしているが、実際完成した絵を見るとまゆみさんの気持ちがこもった作品が多く、二人で絵が作り上げられていくのを強く感じる。
芸術家である以上、作品制作時に何度も何度も壁にぶつかるのであるが、先日完成した「一本道」と言う一枚の作品が、二人にとってのブレイクスルーとなったようである。
上記の文章を読んで、自分のこれからの人生に問うてみたのである。
ギターを弾く日々は、決して先を暗くはしていないと。
自分の先に見える細い「一本道」を切り開いていかなければならないと。
[2003年3月18日(火)記載]
◎完璧な練習によって完璧になる。 [誰の言が知らない]
特にハープギターを弾いている時に感じるが、練習しないで上達することがない。とても奥の深い楽器であるから、接する時間を多くしているが、上手くなるのには時間がかかる。
誰かが書いたメソッドがあるわけではなく、自分の思うように弾くしかないのだが、弾いている内にこうした方がよい、と感じることは多い。そのより良いと思える方法を元にして練習している。完璧になるのは難しいと思うが、より良い方向へ行きたいといつも弾いている。
ハープギター=安田守彦 とまで言われるようになりたい。
[2003年4月12日(土)記載]
◎(We) Never, never, never surrender!!! [ジョージ・アリアス] George Arias
決して、ケッシテ、けっして諦めない!!!
恐らく去年のペナントレースでジョージがお立ち台に上ってインタビューを受けている時に聞いた言葉だが、鳥肌が立ったことを覚えている。
今年の阪神の快進撃は目を見張るものがあるが、逆転勝ちの何と多いことか。
負けていても、点を取り返す。勝ちたいんや!と欲望を露わにする。スマートではないけど、スカッとした爽快感がある。
生きているといろんなことがある。先日、腱鞘炎になってしまって、随分落ち込んだ。まだベストの状態にはほど遠いが、やはりずっとギターを弾いていきたい。決して諦めない。Never, never, never surrender!!! 諦めたら終わりや。
[2003年6月28日(土)記載]
◎生きることを止める土壇場になって、生きることを始めるのでは、時すでに遅し、ではないか。 [ルキウス・アンナエウス・セネカ] Lucius Annaeus Seneca
今、自分の本を整理していて、愛読書の「人生の短さについて」を手にした。
最初に読んだのは大学生の時か、就職して間もない頃だろう。この偉大なる書に出会えたおかげで、今自分の好きなことをしながら生活できていると思う。
この本は2000年前くらいに書かれた本だが、今我々が読んでも参考にできる点が十二分にある。今、自分の生き方は本当に自分にとって間違っていないか。相応しいものになっているか。自問自答している人に読んで欲しい。
平均寿命は延びてはいる。しかし、それは飽くまで「平均」寿命であって、自分の寿命ではない。全ての人がそれくらいの年まで生きられる訳ではないのだ。大事な自分のための時間を見直して、自分のための人生を歩むために、この言葉が振り返るきっかけになればと思う。
尚、この本は金言に満ち満ちている。読まれたし。
[2004年6月5日(土)記載]
◎よくわかるが、いつでもどんどん書けるものではない。それだからといって、書けそうにもないときには空を仰いで歩きまわり、創作意欲が湧きあがるまで待つ必要があると言う意見に、私は絶対に賛成できない。チャイコフスキイとリムスキイ=コルサコフはたがいに相手をあまり好きでなく、たがいの意見の一致することも少なかったが、しかし、絶えず書きつづけねばならぬということに関しては全く同意見だった。もしも大きな作品が書けそうもなかったら、小品でも書き、まったく書く気になれなかったら、なにかをオーケストレーションすればよい、というのである。ストラヴィンスキイもやはり、このような観点に立っていたと思われる。[ドミートリー・ショスタコーヴィチ] Dmitri Shostakovich
死後国外での発表を条件に、アメリカで発表された「ショスタコーヴィチの証言(ソロモン・ヴォルコフ編、水野忠夫訳)」の一節である。この本はスターリン時代の悪政に翻弄され続けた芸術家の生き様が細微に渡って記録された驚愕の書である。
私がこの一節に出会ったのは武藤洋二先生の論文である。今から20年くらい前になろうか。武藤先生はアンナ・アフマートヴァを研究されていて、私もこの時代の詩人、作家、音楽家にとても興味があったのでいろいろな書を読んだ。その論文の一つに上記の一節はあった。記憶では「チャイコフスキイと…」からのくだりから始まっていたので、その前の文章については今回「ショスタコーヴィチの証言」を読み返すまでは知らなかった。
学校を卒業してから16年弱、会社の仕事中心に毎日が回っていた時、「書けそうにもないときには空を仰いで歩きまわり、創作意欲が湧きあがるまで待つ」日々を送っていた。無理して曲を作ろうとしても良いものは作れないと。
しかし、この考え方だとできない時には何ヶ月も、何年も曲が作れない時期が続く。この状態は本意ではない。
自由な生活をしている今、この言葉を胸に刻んで創作活動にあたりたい。絶えず良い曲を書きたいと思いながら創作活動をしたい。
[2004年9月4日(土)記載]
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